本邦80年代あたりに猖獗をきわめた「ポストモダン」のありようについて、年来の大ネタのひとつではあるので、この個人的チラ裏(死語だな)に等しい場でも、まあ、折りに触れて俎板の端っこくらいにちょいちょいあげて素材の下ごしらえくらいのことはしてきているけれども……*1
最近、TLに流れてきたおそらくは若い衆世代、30代そこそこかヘタすりゃ20代でもおかしくもないような気配の界隈、いまさらながらにデリダがどうこう、カラタニがどうこう、といった相も変わらぬ古色蒼然な語彙と半径蠱毒化エリジウム丸出しな世界観(本来の意)で、あれこれそれなりにマジメ風に「議論」をされているような風情のたまり場を垣間見させられると、その本邦的ポストモダンの残留放射能はかくもしぶとく、また新たな時代の新たな生身に対しても新たな難儀を再生産する培養基になっとるようで、いまさらながらにまた、膝から脱力して床に転がっちまったような次第。
当時のポスモは「現代思想」という枠組みが好き放題させてもらえる運動場になってたところがあって、それはあの同じ名前の雑誌がひとつの象徴的な場にもなっていた。『現代思想』『ユリイカ』『エピステーメー』、あとなんだっけか、いくつかそういう月刊誌の類があって、いずれも割と横並びにそれら「現代思想」と当時くくられるようになっていたポスモ芸風の人がたの書いたものが、毎月てんこもりになっていたものだった。
考えたらあのテの雑誌は、それ以前のそれこそ『世界』『思想』『思想の科学』などの系列とはまた別のハコに何となくさせられていて、判型も活字の組み方も誌面のレイアウトもまたひと味違うものになっていたわけで、いつ頃からああいうスタイルの雑誌がいくつも並列するようになり、そしてイケてる、カッコイイてな見られ方をするようになっていったのか、おのが記憶の底をまさぐってみても、さて、いまひとつよくわからなくなっているところがある。
版元で目立ったのが青土社。wikiによれば「株式会社青土社(せいどしゃ)は、日本の出版社。神話・言語・哲学・文学・宗教・文明論・科学思想・芸術などの人文諸科学の専門書の出版社として名高い。清水康雄が1969年(昭和44年)に創業。詩と芸術について扱った雑誌『ユリイカ』、思想と哲学を扱った雑誌『現代思想』は、当該分野における一般向け雑誌として有名で、国内外を問わず著名な学者や研究者が、これらの雑誌に論文やエッセイ等を寄稿している。」てなことだが、朝日出版社という胡乱な版元(『エピステーメー』から『週刊 本』まで)も一枚噛んどったなぁ、とかいろいろと。
老害化石脳テイスト丸出しのよしなしごとはさておき、そもそもその本邦的ポスモってのは、いわゆる人文系がその市場規模も含めての勘違いをおそらく戦後最大限に肥大、炸裂させた現われでもあったわけで、それはそれまでの「学界」「学者」「専門家」とそこに担保されていたはずの〈知〉のたてつけに対して、戦後の過程で拡大し裾野を広げ、かつその内実も質的に転換されてもきていたいわゆる「読書人」「本読み」層、言い換えればそれらリテラシーをうっかりと実装して/させられてしまった大衆社会のその他おおぜいの側からの不可逆的な浸透が全面化したことに規定されていたところがある。〈知〉のカジュアル化、とあっさり言ってしまえばあまりにきれいごとすぎるが、何であれ実際に起こっていたことというのは、まずはそういう意味での「専門〈知〉」の大衆化・通俗化であることは間違いなかった。だから、当時その渦中であれこれ踊っていた人がたがご本尊がたの認識としてはいかにマジメで真剣で、その限りで旧来の「専門〈知〉」をそれまで支えてきていた「学界」「学者」「専門家」世間の「そういうもの」に忠実な身ぶりを、それに見合った自意識と共に懸命になぞっていたのだとしても、もはやそれ自体が何かの壮大なパロディーでしかあり得ないようなものでもあった。
なんというか、だからかの本邦ポスモの呪いがかかってしまった以降、それら「学界」であれ「学者」であれ、ほんとに見事なまでに情けないものにしか見えなくなってしまったのは、中の当人がたが変わった、転向し変節したというようなことではおそらく全くなく、そもそもそれら「学問」なり〈知〉なりを支えてきていた本邦の情報環境自体に、何か決定的な不連続をもたらす画期として本邦ポスモ以前/以降が線引きされるようになっていた、その程度に構造的で、まさに言葉本来の意味での「現代史」の過程としてあったということなのだと思っている。これは自分自身がそれらを同時代のものとしてくぐり抜けてきた自覚と共に、自分ごととしてもなのだが、それはまた別の話になる。
だから、話を元に戻せば、かつて柄谷行人あたりが提示してみせた「近代文学」に対する本邦ポスモ的ど真ん中なパラダイム変換( ああ、このもの言いもすでになつかしい……)が、その後もなおある種の「権威」として、だからある種の「正解」「正義」としてさえ流通するような界隈が、たとえ干上がりかかった潮だまりのような状態とは言え、いまなお存在はしているのを目の当たりにして素朴に反射的に感嘆してしまったのだ、自分としては。
そもそものお題のありかたとしては「文学」であり、でもプレイヤーとしての立ち位置は「現代思想」であり、だから当然に新しくイケてる「ポストモダン」流儀の使い手であり、といった始まりの地点から、さらにそれは隣接お仲間的な世間としての「哲学」だの「思想史」だのから「心理学」「言語学」「精神分析」、近年もう忘れられつつある「文化人類学」やご存知「民俗学」に、昨今は被害担当艦的に勇名をはせるようになっているあの「社会学」から「なんちゃら(カタカナなら何でもいい)スタディ」「フェミニズム」といった類、さらにはどうやら「美術」「芸術」「アート」系といった界隈にまで、いずれ被曝ないしは感染クラスター的なまとまりをその後も粛々着々と形成していったらしいのだ、あの本邦ポスモのその後の有為転変の経緯来歴というのは。
このへんは、ちと縁あって紐解いてみなければならなくなった領域、何でもいいがその「美術」なり「音楽」なり「言語学」なりの分野(かつてなら間違いなくそれらの住所におとなしくたたずんでいたはずだが)にからむここ20~30年ばかりの間の仕事を拾って読もうとしてみた時に、あらなんと、そこで下敷きにされているものの見方や世界観(本来の意味での、再度しつこく為念)が見事なまでにあの柄谷パラダイム、本邦ポスモの呪いの呪文を未だ健気になぞったものになっていたりするのをちらほら散見して何となく察してはいた。もちろん、それら書き手の世代的なものもあるのだろうが、それにしてもこうまできれいに、それも「そういうもの」としての自明性に担保された無防備不用心なたたずまいの裡に、それこそ「まえがき」だの「はじめに」といったそれら仕事の初手のマクラの部分にそのような世界観が当然のように裏打ちされているのがあからさまに見てとれるものが半ばハンコのように共通しているのを見せつけられては、なるほどその程度に、たとえ制度としての「学界」が干上がりかかりながらもそれなりの下部構造、出版なりメディアなりの下支えと共に延命しているのなら、その限りにおいてはこのような生き延び方というのも現実にはあるものなんだなぁ、と、これは決して皮肉というだけでもなく、感心もしたような次第。
学者研究者大学教員の類が、ある種「スター」であり「アイドル」みたいに扱われていた時代があった――これを説明しようとして小一時間、あれこれ大汗かいてみせたところで、眼前の若い衆の顔つきは見事にこんな顔でしかなかったのが、すでにいまからもう10年以上前のことだったんだが。*2
*1:以下、このNOTES内のエントリーからだけでも、ざっとこんなのがここ5年ほどの間に限っても……king-biscuit.hatenadiary.comking-biscuit.hatenadiary.comking-biscuit.hatenadiary.comking-biscuit.hatenadiary.comking-biscuit.hatenadiary.com
*2:「いまどき若い衆にこのあたりの話をある程度わかるようにしてゆこうとすると、まずその「教養」でも何でも、いずれ大学で読まされるようなムツカシげな本の中身や、またそういう本を書いていたりするめんどくさげな人がたの固有名詞がひとしなみに「ファッショナブル」にオサレに感じられた、ということ自体が(゚Д゚)ハァ?……(つд⊂)ゴシゴシになる。比喩としての「アイドル」というもの言い自体がいまどきの彼ら彼女らの準拠枠としては別モノになっているし、このあたりの彼我の距離感というのはいろいろと深刻なものがある。」