「詩」と「戯曲」「童話」の関係、その他・メモ

 「詩」と「戯曲」「童話」の関係について。雑誌や同人誌に並べて掲載されるのが普通だった時代、どのように読まれていたのか。活字になったものが読まれる際、朗読されることとの距離感が、いまよりもずっとまだ親しいものだったこと。

 「創作」というくくりが「小説」であったこと。ということは、〈それ以外〉の創作はわざわざ「創作」と名づけられずともよく、それぞれ「詩」であり「戯曲」であり、あるいは「短歌」であり、といった具合にそれまであった既存旧来の分類語彙でくくられていたこと。逆に言えば、「小説」はそれらを越えたところに新たに出てきたジャンルで、だからこそ「創作」とわざわざつけられるようになっていたらしいこと。いわば誌面における綜合創作としての「小説」といったニュアンスも。

 「詩」が「うた」である以上、それらはわざわざ「創作」と一線を引くような意識を持って構えずとも、「うた」だからある程度までは自然にことばになり、また文字にすることができた可能性。しかも、短歌や俳句なども同じ「うた」の範疇ではあったとは言え、それらはまだ定型詩としての縛りがあり、そこから抜け出すための自由化、口語化といった流れは出てきていたにせよ、詩における口語自由詩ほどには闊達なものとは言えなかっただろう。もちろん、新体詩から口語自由詩へと以降する過程で、象徴主義から民衆詩へ、そして「モダン」の内実を自覚的に備えたアバンギャルド詩へ、といった流れは、想像以上に「うた」をさらに身近に、日常に引き寄せ、それはある意味では身体性や動態の方向へと創作の焦点をあててゆくことにもなったと思われる。

 三行詩などのごく短い詩をつくることなどは、「創作」とは思われていなかったかもしれない。

 同じような意味で、「絵画」と「詩」そして「うた」の関係について。

 白樺派が美術や彫刻にも、小説などと同じく眼を開いたという所説は、もう一歩進めたところで、当時の「文学」という語彙にいわゆる文芸作品だけでなく、美術や彫刻、あるいは音楽なども含めた「芸術」一般までも積極的に包摂してゆくという態度として理解してゆくことが必要かもしれないこと。つまり、小説ありきの解釈でなく、それらも全部ある程度フラットで等価な「芸術」として見る視点が、当時の同時代感覚としても妥当だった可能性。

 漢文脈の文語的なリテラシーを基本的に教養としていた世代から、ある程度まで口語的な、あるいは言文一致的なリテラシーをあらかじめネイティヴとして刷り込まれてきた世代へと移行してゆくことで、定型詩から口語自由詩への流れも裏打ちされていたはず。もちろん、それらを支えていた当時の生身の身体性も含めて考えねばならないこと、言うまでもなく。

 大正12年6月25日「三人の会」と称する会合、今風に言えば文化イベントのようなものだが、その内容についての紹介の一節。会の主旨は、中村吉蔵、小川未明秋田雨雀の文学的業績をねぎらうこと。場所は神田駿河台下の中央仏教青年会館楼上。社会主義的傾向の文学者・思想家など200数名の参加者、と記されている。雑誌『種蒔く人』周辺の提唱によって企画された会合だったらしい。司会は前田河広一郎。

 「主賓秋田雨雀の戯曲「国境」、中村吉蔵の「税」、小川未明の童話の一節が朗読され、つぎに秋田雨雀佐々木孝丸らを中心に、新宿中村屋の主人相馬愛蔵の財政的援助によって組織されていた先駆座の余興があり、それも無事にすんで、いよいよテーブル・スピーチに移った。」壺井、p.167 *1

 「中村屋の相馬家が、家の土蔵につくったという先駆座の話が出てくる。この先駆座というのは、相馬家二階で秋田雨雀相馬黒光が開催していた朗読の会をもとに、演劇上演にまで発展したもので、大正12(1923)年4月、第一回上演会が持たれた。そこでは、ストリンドベルヒ「火遊び」と雨雀「手榴弾」が上演されている。」
osumi-syooku.com

 「たびたび述べてきたことだが、大正文学のトータルな実体を追跡してみると、小説家がしばしば戯曲に手を染め、各自の代表作ともいい得る作品を書いているという事実である。大正文学は小説と演劇との蜜月時代と称しても決してオーバアな表現ではない。」(紅野敏郎)
odamitsuo.hatenablog.com

 たとえば、この会合のこの場に、舞踊や音楽なども混じっていてもまったく違和感はない。これまでこちらが普通に考え、想像していたよりもはるかに、当時の「文学」周辺は生身の身体性、上演性に対して開かれた空間だったらしい。それは、その少し前、明治末年から大正初期にかけての浪曲が政治的な演説会などにあたりまえに並列的に盛り込まれていたことなどと、おそらく地続きの同時代性でもあっただろう。

 散文詩と小説の間。あるいは、散文詩といわゆる随筆、随想、小説などの間。そもそも、散文と詩の間、という古くて新しい、そしておそらくは答えが明確に絞り得ない問いの方にも、また。

 イメージの飛躍がどのように読み手の裡に宿り得るのか、それが作者の想定したものとどれくらい重なり得るのか。

*1:「国境」は「国境の夜」のことだろう。