何か情報なり刺激なりが入ってきた瞬間、まさに脊髄反射で「反応」速度最優先、背景や理由など全く考えなしにテンプレだけで何か言ったり発信してしまうことを蠱毒化したエリジウム環境での生存本能として刷り込まれてしまっている「優秀な」人たち、割ともうそこら中に実戦配備されているんだよね。
反応速度最優先だから、テンプレで作成された言葉や文章と自分自身とのつながりとか自省して確かめることもないし、その言葉が現実にどんな効果をもたらすかなども予測しない。だから何か問題になっても簡単に「なかったこと」にするし、平然とできる。発言や言葉に、自分自身という文脈が初手からない…
でも、悲しいことに生身の自分ってのはあり続けているから、生身の葛藤やジタバタも普通に宿っているんだけれども、でもそれもその反応速度最優先設定でぶっちぎられ続けてて自前で気づいて自覚する契機もない。いよいよ追い詰められた時にそれらが一気に噴出。それがあの「おキモチ」で「おポエム」。
新聞記者に限らず、いわゆるジャーナリストの類ってのは本来、基本的に「プロの素人」なはずで、世間一般その他おおぜいベースの好奇心を全方位全開で持てることが資質の第一、というのは立花隆も繰り返し言っていたことだったんだが、な。専門分野や得意方面を持つのは、その仕事の積み上げ経験の中に、自身の勉強と共に半ば必然的に宿ってくる、そんなものだったはずなんだけど。このへん、いわゆる人文社会系の〈知〉なり教養なりってのも、ざっくり同じなんだと思うとったんだが。
やたらと「性的存在」としての自分に関わるあれこれを意識してしまう、何でも「男女」「ジェンダー」図式にあてはめてしまう、ありがちないまどきそれ界隈の病態にしても、そういう生身の葛藤やジタバタをうまく社会化して落とし込んでゆく有効なテンプレを見失っているからという面はあるかと。
もちろん、そもそもそういう「性的存在」としての生身のあれこれを社会化させてゆくたてつけが、本邦の歴史・民俗・文化的な経緯来歴においてどうだったのか、それが明治維新このかたの近代化の過程でどうワヤになってきたのか、というあたりの問い自体、言語化されていないところはあるんだが。