「抒情」、小野十三郎的なものから・断片

 小野十三郎の「抒情」についての認識、その他からとりとめなく極私的備忘。

 彼の詩論の核にあるらしいのは、詩とは「抒情」である、ということがひとつ。で、その「抒情」というのは、言葉による表現としての詩の形式――韻文であったり朗唱であったりするような、表現としてのかたちとは必ずしも関係なく、そもそも何らか表現しようとする者の裡に宿るもの、といったものらしい。

 それは感情とか気持ちとか、そういう不定形でそれ自体としては固定されるようなものでもなく、生きている生身の裡に「宿る」としか言いようのないものらしいのだが、そしてそういう意味では素朴な表現衝動であったり、あるいは “鬱勃たるパトス” であったりしても構わないようなものでもあるのだろう。まあ、つまり「文学」的衝動でもいいようなものとしての。

 彼が執拗にこだわっていた短歌的な定型――いや、その場合の定型というのも表現のかたちという意味よりも、感情を規定しているらしいあの五七五七七のかたちがもたらす何ものか、といったような心理や精神、それこそ文化的な構造にも関わるようなものらしいのだが、それこそが自分および自分たちの世代の抱える「抒情」をあらかじめ不自由な型にはめてしまうものだという強固な想いがオーバードライヴして、彼の短歌への批判力も成り立っているように見える。「流行歌」の「通俗歌謡」をあっさり斬って捨てるあたりの感覚もまた、そのあたりに根ざしているのだろう。このへん個人的にはちょっと謎というか、不思議な印象もあるのだが、それはともかく。

 散文であっても、それら「抒情」の解放はできる、実際に私小説がそのような役割を果たしてきたではないか、という方向での彼の主張は、その感覚も含めてそれなりに理解も共感もできる。ならばそこから一歩進めて、「流行歌」であっても可能だという風になって不思議はないと思うんだが、そのへんそうはならないらしいのは、単に彼の個人的な趣味や嗜好の問題なのか、それとももっと違う理由があるのか、それは別途またピン止めしておかねばならないちょっとした問いではあるのか。

 「現代詩」というかたちに彼はこだわっていた。たまたまそういうかたちと遭遇しただけのこと、でもあったかもしれないけれども、でも、その頃の彼にとって〈リアル〉を眼に見える、他人と共有し得るようにする手段として、使い勝手がよく、また実際彼自身になじむ道具ではあったらしい。

 まあ、そもそも「抒情」でなくても、感情というかこころのありようそのものを表沙汰にして表現すること自体、「おとこ」には禁忌とされ社会的にも抑制されるという「そういうもの」もあったわけではあるが、それもそれでまた別途、大展開せねばならんお題ではあり。

 韻文的なもの、というのは、実際の言葉による表現として意識したことはほとんどないし、実際自分で短歌を作ろうとか、作ったみたこともない。だが、確かに言われてみれば、こころの動き方に五七五七七的なリズムというか呂律みたいなものは、まあ普通にあるよな、と感じるところはある。それが歌をうたう場合にどう影響するのかしないのか、あるいはこれはもうさらに想像の域でしかないが、自分が何か作曲するような場合にどうなのか、などになるともう、皆目わからないとしか言いようがない。詩と音楽と絵画の組み合わせによる何らかの刺激、というのが、大正期から昭和初期くらいにかけての情報環境において、何らか特別なものであったらしいことも含めて、なのだが。

 まあ、何にせよ、そういう小野十三郎的な意味での「抒情」というものが、仮に自分の裡にもあるのだとして、それがどういう表現と出逢ってかたちになっていったのか、となると、あらためて落ち着いて自省しつつ考えてみないといけないらしい。

 例によっての並行車線的に並走させておかねばならない問いの系、ではあるんだろうが、繰り返し反復して読むこと、と、暗誦すること、暗誦すること、と、うたうこと、の問題も、また。

 反復と暗誦、そしてうたう、との関係。執着というこころの動き方と、そこを足場にして何らか躍動もしてゆくらしい、そういう「抒情」へのおそらくははじめの一歩、とか。何かを目的として暗記するのでなく、繰り返し読む習慣があると必然のように暗誦もまた身についていった可能性。記憶の作用もまた、生理的肉体的なメカニズムにおいてだけでもなく、社会的文化的なからくりにも規定されているらしいこと。違う言い方をすれば、個人的個体的な要因だけでなく、社会的集団的類的な要因においてもまた、とも。

 おそらく、あの「友情」といったもの言いで表現されてきた人間関係、大方はホモソーシャル的な空間において成り立ってきていたものだが、それもまたそのような反復、執着、暗誦そして「抒情」といった系での、こころと身体、個体のマトリクスのような裡に宿り得るものだったかも。

 もちろん、「寮」あるいは「寄宿舎」「兵舎」、といった閉鎖空間という舞台装置も共に。ああ、これはまた別の問いの系に連接してゆかざるを得ないのだけれども。