おのれとだけ紐付いた紙媒体の山のゆくへ


 身のまわりに古本雑本が山をなしていることは、もう何度も愚痴まじり、韜晦風味に言及してきているけれども、さてさて、これは果たしてこの先、どういう意味を持つガラクタの山になるのだらう、といったことも、先行き見えてくるような年回りになると考えてしまうのもまた人情というか、全裸老害ならではの感慨らしく。

 誰かの役に立つ、ということを、少し前までの「教養」人のように無邪気に、かつ脳天気に夢想できるのならば、それこそどこぞの図書館なり何なりに寄贈したり、といった勘違いの善行まがいまで一直線に向かってゆけただろうものを、もはやそんな呑気な状況ではなくなっていることは当然、思い知っているわけで、どう考えてみてもこのおのれ自身との関係に紐付けられている限りにおいて、このすでに時代に置き去りにされつつある紙媒体の群れはかろうじてその存在意義を宿しているものだということには、前向きにあきらめながら思い切っている。致し方なし、言うても詮無いこと、なのだ。

 それにしてもこれはなんなんだろう、としみじみ眺めながら、何か付箋めいたレッテルのひとつもひねってみようとすると、たとえば、「思想史」についてのある集積、ではあるのかも、とは、とりあえず思う。殊にここ10年足らず、コロナ禍はさんで「懲戒解雇」沙汰の裁判で手足もがれた状態だった間は、ちみちみと主にweb介して新たに取り寄せ、集めていた古本たちは、概ねそのような脈絡のもので、それはこの間の自分の千鳥足の思索なり考察なりの歩みに即したものでもあったのだが、結果的にやはりそれは「思想史」、それも戦前から戦後にかけての、渡辺京二などが言うところの「吉本、谷川、橋川と名前がなつかしくも浮び上がってくるような、ある時代的な問題設定、竹内好花田清輝平野謙といった彼らよりひとつ上の世代の設定に挑戦しながらなおかつ土俵を共有していたような問題の枠組」であり、「大正末年から昭和三十年代まで続いたわが国近代のある思想的局面の最後の輝き」を後付けながらにたどってみようとする際に、いくらかのよすがになり得るかもしれないようなひと山になっているかもしれない。

 ただ、だからと言ってそれをおのれがこの世にいなくなって後、いや、身はこの世にあっても首から上が働かなくなり、ボケてしまっても同じことだが、いずれそのような「おのれ無きこの世」においてどのように役に立つものか、そんなことを未練がましく思い悩むこと自体がもう、後世の邪魔にしかならない。あの立花隆であっても、かのネコビルいっぱいに抱え込んでいた蔵書――このもの言い自体にすでに何かもう好ましくない鈍重さやもの欲しさがまつわってきているのを感じるが――を、自分の死後は全部売り払い、古本市場に放流するよう指示していたというあたり、その認識の潔さ、見識の高さにこちらの心の身じまいまで糺されるような気がする。

 せめてまだ生きていくらか仕事らしきものができる間は、この古本雑本の山をおのれひとりの役に立つようできるだけ整理してやらねば、と日々思いつつ、加齢というのは情けないもので、気持ちはあれどなかなか腰を上げてその作業に手をつけることもできかねて、この三月末に大学から何とか持ち出して新たに収めるべきささやかな場所に突っ込んであるそれら段ボールの山たちが「あんさん、グダグダ能書き並べとるだけやのうて、わてらのこの状態、はよ何とかしてくれまへんか」と声あげているのに「すまぬ、すまぬ」と耳ふさぎながら、こうやって傷だらけの机と、すでに色味もあやしくなった静電気で埃まみれのモニターに向かっているのだった。