「文学評論」という稼業の背景


 「文学」なり「文学評論」なり「文芸批評」なりが、よき時代と情報環境に下支えされた「教養」にそれなりに裏打ちされた人がたおよび知性とに担保されるもので、そのことをまた世間一般その他おおぜいも「そういうもの」と信頼して/できていた時代、がそれなりにあったこと。

 紙媒体としての本、書籍というものが、それらを支えるたてつけのほぼ大部分であり得ていたことも、共に。

 そんなこんなの条件と環境との相関によってうっかり成り立つようになったそういう「評論家」「文化人」の、日常雑感好き放題な「感想」でさえもが、それら活字中心の読み手たちという意味での世間一般その他おおぜいが、何らか世の中や社会のことをもっともらしく考える際の補助線になっていたこと。

 「専門性」だの何だのは、ひとまずもう関係ない。「そういう立場」ということが担保さえされているのなら、あとはもう何を適当に思いつきを垂れ流そうが、「そういうもの」としてスルーされつつ有り難がられる、まあそんな立ち位置とそれを支えるメディア商売の手癖とが構造として完成していたわけで。

 その構造にどれだけうまく入り込めるか、入り込んで「乗れる」かが、いつの頃からか主な目的になっていった経緯があったらし。その上で「教養」ある「知識人」「文化人」としての「評論」「批評」屋の立ち位置が利権として存立し、そのような利権を飾るアイテムとして「文学」も取り回されていた。

 いずれそういう意味での「文学」を取り扱う手癖や手練手管をそれなりに身をつけた、そんな「文芸評論」屋の、かろうじてまだその煮崩れ果てるおそらくは最後のかたちをおのが身でとどめようとする役回りになっていたのが、福田や坪内だったということらし。是非はともかく。

 彼らの責ということと共に、それ以上にそのような構造、干上がり続ける潮だまりの内だけを「内輪」「身内」「世界」と思いなしたまま「(それらギョーカイ半径な)文壇永続の願ひ」に横着にも寝穢くまどろみ続けて下級魔族と化していった編集者その他のおブンガク蠱毒エリジウム市民がたの罪、もまた。

 気持ちはわからんでもなかった、かつてそういう身ぶりや言動で、そういう彼ら彼女らが世渡り始めていた頃から。雛型としてベンチマークして、ああなりたい、なってみたい、と思い焦がれてきていたような、そういう「文学」世間を闊歩する「作家」「評論家」の輝かしさを素直に素朴に写し取ってみたくなるような、そんな気恥ずかしくも少しは誇らしい、そんな気持ち。

 でも、当時からすでに、それやってみても期待通りに受け取られる素地はもうないよなぁ、ということもまた、同時に察知していたはずなんだが。別に客観的な観察どうこうなどでなく、他でもない自分たち自身の感覚として、そういう「作家」「評論家」身ぶりやもの言いを無条件に仰角視線で仰ぎ見ることのできる前提がもう薄くなっていることを、素朴に自分ごととして実感もしていたはず、だったのだけれども。

 そういう意味でなら、別に「文学」にそこまで忠誠を誓うような心性も、またすでになくなっていたはずだった。その程度に「文学」の形骸化、空洞化ははっきり始まっていたし、その真っ只中を自分たちもまた生きているという自覚もあった。なのになぜそんな「作家」「評論家」的な身ぶりやもの言いをコピーしてみたがっていたのか。

 そのへんの事情を勝手に推測してみると、「メディアに登場して好き放題言ったりやったりする」ことに対する憧れが基本的にあって、それを実現させる道筋として、歌手や芸能人やタレントでなく(そっち方向だと当時の「お笑い」ブームなども足場になったはず)、特に取り柄もなければせいぜい多少のめんどくさい性格とものを考えがちな性分、本を読むのがそれなりに身についていて……といった属性からすれば、あ、そうか、メディアでものを書いたり言ったりすることで「世に出る」ことはあり得るのかも、と思う、そんな感じの何らかの功名心がそれら「作家」「評論家」身ぶりやもの言い沙汰の、そもそものはじまりだったのではないか。「文学」というのはそのための方便であり、だからガワだけそれっぽく装うことができればひとまずそれで構わなかったのではないか。

 「思想」もまた同じハコになっていた、だから「左翼」でも「保守」でも、ガワは何でもありで、自分にたまたま使い勝手のいいアイテムとして目の前に転がっていればうっかり手に取り、それっぽく装ってみせる、またそれでそこそこ通用してしまうような状況もまた、情報環境の変貌と共に案外準備され始めていたし、何よりそれをほめてくれる年上のおとなたちもいくらでもいた。

 もちろん、はじめの一歩、にすぎないのだし、どんなバンドだって最初はコピーバンドから始めるようなもので、それで構わないとは思う。問題は〈そこから先〉、どのようにそのガワを自分ごとにしてゆけるか、そのためのめんどくさい仕込みや日々の努力をどれだけ続けてゆけるのか、というあたりにかかってくる、単にそれだけのこと、で済ませられるようなものだったはずなのだが、でも、時代は、そして情報環境の変貌は、そういう「地に足のついた」過程をそれまでのように踏ませてくれにくくなっていた。

 このへんのことは、もう少しちゃんと落ち着いた言葉にして、そんな時代と情況を生きてきたことの自省も踏まえて、かたちにしておかねばならないと思っているので、また別の機会にゆるゆると延長戦を。