ある種の少年マンガ的、あるいはもっと言うなら戦前の少年倶楽部&大日本雄弁会講談社的な英雄主義――その背後には浪曲その他の勃興期大衆社会状況下の大衆演芸などの水脈もあるのですが、何にせよそれらの脈絡の上に「司馬史観」も「島耕作的ヒロイズム」もあるわけで。
そしてそれらはいわゆる「歴史学」というたてつけ――殊に戦後の言語空間におけるそれも全く等価に、平等にw同じ文脈の上にある、というあたりの、言葉本来の意味での歴史(に対する)認識が、おそらくきれいに欠落していますね。
「歴史学」的な歴史(妙な言い方ですが)もまた、同時代の言語空間や情報環境の規定の裡にあらざるを得ない、つまり人文社会系の問いは常に同時代のありようと引き剥がせない≒「客観」の意味が自然科学系とは決定的に違う位相を孕まざるを得ない、というあたりの認識論の欠落というか。
同時代のそのような言語空間やそれを成り立たせている情報環境などの変数を無視したところで「学問」の「客観」や「中立」が成り立つ、と信じてしまっている状態は、とりもなおさず、同じくそれらの縛りの裡にある自分自身、生身の主体という変数をあらかじめ除外したところでの蠱毒化エリジウムを成り立たせる要因になっているはずです。
それらの認識があって初めて、建前としての「学問」の「客観」が成り立ち得る、少なくとも人文社会系にとってはそういう留保が最前提にあったはずだと思うのですが。