
前にも触れたことがあると思うが、あの「キュレーション」というもの言いと、それにすでにあたりまえに含まれてしまっているだろう何らかの内実について。
つまみ喰いというか、いいとこ取りというか、とにかくおのれの裡にすでにできあがっている図式なり枠組みなり「おはなし」なりに沿って都合のいい部分や断片、部分をかすめとり、いや、そういう意味だけでなく、そもそもの資料や素材、眼前のブツへの接し方、まさに「読む」ことのやり方そのものからして、表層的で一面的で均質で、これも前から何度も言っているように、あのデジタルスキャナーの光源を一律にあててゆくようなものでしかない、そんな昨今の知性にまつわっているらしい生産現場の作業過程のはらむ本質的な胡散臭さや信用ならなさ、とそれは関わっているように感じている。
自分の日々の作業にからめたところから言うなら、それこそ「歴史」に関わる仕事について、それら「キュレーション」的な手癖によって仕立てられたものであることがあからさまに察知できる、そんなアウトプットがすでにそこら中であたりまえの顔をして出回るようになっている。それは一方で、おそらくあの「コスパ」「タイパ」にも親和性の高い「合理的」で「効率的」な作業の進め方を何の疑問もなく進めてゆくことのできる生身の気配が、たとえ紙の上の活字だけでなく、モニターに透過光ごしに映し出されるフォントを介してさえも目先鼻先にむっとするほど伝わってくるのだからして。
「キュレーション」などと言うけれども、やっている作業そのものとしてはいわば切り貼りである。切り貼りをして何かもっともらしい体裁のものをでっちあげる――学校に通っていた頃の課題のレポートなどで、そんな真似をしたことのある向きは多いだろう。だが、たとえそういうでっちあげの一夜漬け、その場しのぎをやっていたとしても、その当人の胸の裡はあたりまえだが、ほめられることをやっているような意識はまずなかったはずだ。
あるひとつの資料から欲しい部分をつまんで切り取る。また別の素材から一部頂戴する。それらを何らかの新たな文脈に即して並べ替えて、新たな台紙に貼り込んでゆく。肝心なのはその「何らかの新たな文脈」の部分であり、そこに何らか「創作」としての重心がかかってくる――はずなのだが、さて、昨今の「キュレーション」を振り回す向きには、どうもその重心の意味がよくわからないのか、それとも初手からそのような重心だの何だのをかける自分、それこそ「主体」という輪郭自体があいまいにぼやけたままなのか、とにかくそのへんが見事に見えないような。
これも最近、気づくようになったことのひとつではあるんだが、いわゆる広告・宣伝系の仕事やそういう現場や界隈に棲息している、あるいはそのような経歴が長かった人がたの書くものに、それら「キュレーション」を臆面なくやれているような意識が背後に控えている印象があったりするのは、何というのか、眼前の事実や事象に接する際の距離感や切迫感みたいなものが、おそらくあらかじめ何らかの寸止め感、それも「おキモチ」をかましたところでの他人ごとにしてしまっているようなところでの同じハコ感、なのだ。
そういう文体、文章というのは、なるほどある意味すんなり流れるように読める、いや、「目を通す」ことができる気はする。けれども、あとに残るものには乏しい。というよりも、その途中の過程でさえもひっかかったり立ち止まってるすることを求めてこない、そのような契機を読み手の側にもたらすことが排除された、そういう意味ではきれいに整えられたある種の「快適」最重視の文章だったりする。それはその文章の向こう側に設定された距離感を担保する、そしてそれと同じく読み手のこちら側にもそれなりに実装されてもいる、そんな「おキモチ」の水準でゆるく撫でられ続けるような「快適」ではあるらしいのだが。
話を先の「歴史」に関わる仕事に戻して言うと、あ、これはあの資料を踏み台にしているな、この部分はあの仕事をつまみ喰いしてまるめたんだな、といった感じの最もショボいていたらくなネタバレ感が、章ごとどころでなく、大げさに言えばパラグラフごとにあからさまに見える感じ。しかも、ここが自分的にはいちばん身ふたつ折れに凹む部分なのだが、その程度のそういう仕かけ方をしていともたやすくネタバレ感バラ撒いていることにどうやら自覚のカケラもないどころか、どう?うまくやってるでしょ? 的に鼻ふくらませ加減なドヤり顔すら垣間見えるようなところなのだ。
その程度でいい、という商売上の判断なり、またそのような商品を市場に出してゆく過程での調整なりがあった――そうかもしれない。しれないが、もしそうであったとしても、書かれた仕事としての文章そのものに、こうまで最初から最後まで徹頭徹尾きれいになめしたようなネタバレ感をスッポンポンにしたままにする/できることは、申し訳ないがまともにものを読んだり考えたり、そして書いたりする主体であるなら、ちょっと考えられないのだ、こちとら無職老害化石脳的には。
……で、ふと思ったんだが、こういうのってそれこそChatGPTとか、AIが思いっきり効率的かつ合理的にサクッとやらかすようになってくれつつあること、だったりするんでないん?