不良を気どること・メモ


 団塊世代から僕らバブル世代まで、不良を気取る男というのがたくさんいて、その弊害が大きかった。氷河期以降の世代ではそういう男が減ったのはよかったが、逆に道徳シグナリングが蔓延してきた感じがある。
極端から極端に振れてるが同じ根っこの層がやってることだと思う。


 団塊世代では女性にも少数ながら不良を気取る(オラつく)人がいて、バブル世代以降増えた印象。彼女たちのは2層構造で、不良であることが道徳シグナリングになるという感覚を持っているのが見える。


 自分はいい子だと思わないようにしよう、かといって不良性をひけらかすのは嫌いだからそれもやめよう、と決めたのはいつだったか、7歳のときだったような気がする。もちろんこんなに理窟っぽく言語化して決めたわけではないけど。


 不思議なもんで、自分は市井に潜伏中の悪人であると思うと、電車で席を譲ったり落ちてるゴミを拾ったりすることが楽しくなる。自分が悪人だと思えばこそ、理不尽な目に遭ったり話が通じなかったり侮辱されたりすることへの耐性も高くなる。自分をいい人だと思うとそういう耐性はダダ下がる。


 僕の周囲の「ふつうの」おっさんやジジイは、たとえこのように言語化してなくても、大なり小なりこういう生きかたを選んでいるように思える。女子にこういう発想がレアなのは、「あなたには善性がある」と囁きかける呪いがかかってることが多いからかな。


 「自分は市井に潜伏中の悪人である」と思うとメンタルが健康になり、仕事の効率もよくなる。悪人健康法。


 副作用は、そうね……神を信じたくなることかもね。自分は善であると思うために神は不要(なんなら邪魔)だが、自分は悪だと思うためには神の概念が役立つからだ。