とんねるず、の衝撃と記憶・メモ


 前にも書いたが、とんねるずの登場は1984年当時業界では革新的だった。それまでにないお笑いタレントなのにスタイリストが付いてカラフルなK-FACTORYに身を包んだ二人は高身長でスポーツの背景があり、ルックスも華があった。「夜ヒット」では衣装で光GENJIに対抗意識を燃やすなど、これまでにないポジションを獲得した。反応したのがまず吉本で、サッカーをボクシングを背景に上背のあるコンビ圭修が1986年に登場し対抗させようとした。次にジャニーズ。1988年にデビューさせたSMAPは「夢がMORI MORI」のプロデューサーに「ドリフターズにしてくれ」と預けた。


 この流れはKinKi Kidsをはじめアイドルでも日常的に冗談を言えるスキルが求められ、ナベプロも1985年に見た目がそこそこで「芸人の真似事」が出来るABブラザーズを、萩本欽一膝下からCHA-CHAが1988年にデビューし、粗製乱造の様相を呈していた。もしかするとアイドル誌「Duet」に出ていたたけし軍団の影響もわずかにあった可能性はある。1990年代に入るとTV局もタレント排出に関わろうとCXが『ゴールドラッシュ!』をスタートすると早くも末期の状況を迎え、この番組から出たエンタメ系タレントは現在ほぼ残存してない。


 この時期俺が気にしていたのは1980年からの『お笑いスター誕生!!』だった。オーディション番組というより、すでに事務所所属の芸人にスポットを当てる役割が強かったように思えるが、吉本を離れ東京でチャンスを伺っていたB&Bが初代グランプリ獲得者に。とんねるずもグランプリを獲得していた。そこに前にも書いたが、とんねるずの登場は1984年当時業界では革新的だった。それまでにないお笑いタレントなのにスタイリストが付いてカラフルなK-FACTORYに身を包んだ二人は高身長でスポーツの背景があり、ルックスも華があった。「夜ヒット」では衣装で光GENJIに対抗意識を燃やすなど、これまでにないポジションを獲得した。反応したのがまず吉本で、サッカーをボクシングを背景に上背のあるコンビ圭修が1986年に登場し対抗させようとした。次にジャニーズ。1988年にデビューさせたSMAPは「夢がMORI MORI」のプロデューサーに「ドリフターズにしてくれ」と預けた。