続・宅八郎について・メモ

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オタクの元祖?オタクを搾取した人?宅八郎さんはどういう存在だったのか

togetter.com


あと小林よしのり氏のゴー宣(最初期版)を掲載誌から追い出した元凶の一人であり、他にもオウムに批判的なライターを叩きまくるコラムを書いたり訴訟を起こしたりと
オタクを叩く姿を含め、明らかにオタクじゃなくサブカル側の人だったのよね


何でこういう結論になるかというと
オウム真理教が出た当時、オタクからすると胡散臭い団体であり自分達への矛先が逸れるかも程度の目線で見てたのに対して、サブカル界隈は閉塞した社会に新しい価値観を吹き込むメシアだと持ち上げたんですよね、理解できる俺すげぇって立ち位置で


だから実被害を追ってた江川紹子氏や有田芳生氏が邪魔で仕方なかった
小林よしのり氏を含めてリアルに暗殺計画があったと言うんだからどれだけヤバい集団かご想像いただきたい
実際サリンテロもやったしね
極めて幼稚な動機で動いてたのに、下の人間や実行犯が頭良かったせいで大事になったという事例


宅氏に関して何で総括されてないかといえば、ご本人訴訟を乱発して批判されたら反論ではなく名誉毀損(民事)で噛み付く人として名前を売ったから
そらもうしばき隊も真っ青な勢いよ
誰だって触らないわな


宅氏がサブカル側であるもう一つの証拠がご本人の肩書である「オタク評論家」
「評論オタク」じゃないのよ(このスタンスに近いのは多分青の人)、オタクを観察批評する立場だって言ってるんだからオタクではない、じゃあ何か?サブカルだろうという

当時は宮崎事件の記憶も生々しいころ。とんねるずの番組でいじられりことで「クラスに必ずいた漫画やアニメが好きな生徒(自分も含む)をバカにしてもいいキャラ」にされた。こっちは日陰でこっそり楽しんでいるだけなのに


例えるなら石の裏の虫を掘り起こして天日にさらし、水をぶっかけて逃げ回るのを笑う、そんなことが「面白いこと」であるというキャラ&番組内容でとんねるずと番組制作者の悪意しか感じない内容だった。


後に彼は「あれは番組用のキャラだった」と言い訳したが、それこそオタクの自分の怒りにもっと火をつけた。てめえのおかげでどれだけ当時のオタクが後に苦労した、社会的偏見に傷つけられえたと思ってるんだと!


今でこそオタク文化は日本中に「当たり前に」あふれていますが、宮崎事件以降の社会の空気は「オタクの魔女狩り」にあたる、それこそマンガやアニメが好きという事さえ言えない時代でもあり、その残滓は今もある


そんな中、高視聴率バラエティー番組で「いじってもいい、ひどい目に合わせてもオタクじゃない側にとって笑えるキャラ」としてオタクを演じた、そんな人物


だから、お悔やみなどない。もう四半世紀以上オタクの私、そして、オタクだったことが今の仕事につながっている自分としては、彼の死をざまあみろ!としかいえない。


だから昨今のLGBTQ問題などは当事者でなくとも彼ら、彼女らの苦しみがわかるつもりだ。少数派である、というだけでいじられ、傷つけて笑いものにしても良い、という風潮はいまだに多く存在する。


同じとんねるずの「保毛尾田保毛男」というキャラも、当時存在した性的少数者をどれほど「笑いで」傷つけたか?また、バラエティー番組がそれを助長したか?それと全く同じことをこの宅八郎にされた。

宅八郎がおこしたオタク時代を思い出して、ちょっと長文で書いてみた
plaza.rakuten.co.jp/fantag/diary/2…

宅八郎の件で、今、それこそマンガやアニメ、ゲームを楽しんでいることが「当たり前」になっている時代と、彼がメディアで取り上げられ、公然とオタク迫害が行われていた時代とのギャップをふと考えます。


 当時私は中学から高校にあたる時代で、学校のいわゆる漫画研究会に所属し、マンガ絵を描いたり、同人誌を作ったり、とはいえ、当時の学校の方針で「体育会系の部に入らなければいけない」というよくわからない規則で軟式テニス部にも所属していた(後半幽霊部員でしたが)タイプ。自宅ではパソコンでゲームを自主製作したりと、そういうタイプで。コミケにも晴海会場時代に夏休みに長野から希望部員で遠征して、なんてこともありました。


 で、そこで起きたのが例の宮崎事件。当時にも年に2回、東京でコミケで大勢のオタクが集まるイベントを開ける(当時は10万人ぐらいでしょうか)程度のアニメ、マンガ、ゲームカルチャーはありました(地方でも小さな同人即売会などは行われていた)が、一般にはまだまだ知名度が低かった時代。それが事件によって「オタク族」という言葉と共にメディアに注目されるようになり、しかも「初手が凄惨な殺人事件」という、最悪のイメージで世間に広がってしまったんです。結果、コミケで売られているエロ同人などをとりあげて「こんなものを描く連中がああいう事件を起こす!オタク族は性犯罪の巣窟」みたいな、そういう感じ。と、同時に事件を加害者本人の問題、というより、その人物の属性(趣味)でとらえて報道する典型的なバッシング方法でした。


 しばらくしてテレビに現れたのが件の「宅八郎」というキャラクター。ひょろっとした体に眼鏡をかけ、長髪で手にマジックハンドを持ち、当時トップアイドルだった森高千里のフィギュアをペロペロ嘗め回す、という行為をバラティー番組で「役として」演じていた人。そしてその異常なキャラクター性を番組内でとんねるずなど体育会系芸人にいじられ、馬鹿にされ、ひどい目に合うドッキリなど仕掛けられて番組内で笑いものになるキャラでした。
 今と違ってネットはなく、テレビの影響力が絶大な時代です。


 結果どうなったか?最悪の形で始まった「オタクな人」のイメージを当時完全に定着させてしまった。
「オタクってこういうことをする人なんでしょ」となってしまった。で、その効果は学校や会社などに波及する。クラス内に必ずと言っていいほどいる、内向的で漫画やアニメが好きな生徒をいじる(バカにする)格好の材料になるのだ。


 たとえば手元に当時のコミケカタログ(コミケの40回のもの)があるが、マンガレポート(当時のオタクの状況を一コマで書くコミケサークル参加者の投稿漫画)には「隠れオタ」なる言葉がたくさんある。これは「クラスなどの組織で漫画やアニメが好きだと知られることを隠しているオタク」で、今でもあるけど当時は比べ物にならない、それこそ誇張でなく、迫害レベルの差別を受けた時代なんです。


 その大きな要因を作ったキャラクターが宅八郎であり。当時のバラエティー番組なんです。以降、その残滓は何十年も引きずられていて、いまだにネットで「チー牛」なる言葉でバカにするような、「オタクは馬鹿にしても許される」という社会的認知を産まれさせたアイコン的な人物でもあります。


 これに関して「宅八郎はあくまで当時のオタクを誇張しただけで、彼がいなくてもオタク文化は別の人によって馬鹿にされていた」という人がいますが、ここまではひどくならなかったと否定できる。というのは、宮崎事件以前にもアニメや漫画普及の土壌はあり、特にアニメでは宇宙戦艦ヤマトガンダム宮崎駿作品、マンガではマガジン、サンデー、ジャンプなど雑誌が売れていたように、すでにオタクカルチャーの理解の土壌が少しづつ作られていた時代なんです。(このは島本和彦の「アオイホノオ」の時代でもあり)そのせっかく育ててきた、ようやく漫画やアニメが一部マニアだけのものではない土壌ができつつあった時代に、その土壌に大量の毒をぶっかけ、少なくとも一般と呼ばれる社会認知を大きく歪めてしまった、彼らテレビバラエティー制作側の「面白さ」のためにめちゃくちゃにされた土地でもあります。


 また、「オタクがいじられたのは本人の性格に問題がある」って人がいますけど、それこそなにも悪いことをしていない、クラスの片隅で絵を描いているような大人しい生徒をバカにするために「オタク」という流行の記号でいじって楽しむ、この行為をする側に正当性など何もないと。わかりやすい例では、当時私の学校の文化祭で、漫画研究部の展示物(同人誌やイラストなど)が開催中に何者かによって破壊、「オタク死ね」の落書きをされたことがありました。(犯人は見つからず)。この手の嫌がらせは規模や内容は違えど各地であったかと。


 その後のオタク迫害の歴史は調べていただければと思いますが。だからこそ、私はこの人物を許せないわけです。(余談ですが、藤子不二雄A先生の「まんが道」でも、終戦直後、子供だった先生が漫画を描くことでいじめられる描写があります。当時もいたクラス内のマッチョ系男子の攻撃対象として、こういうオタク趣味というのは格好のえさになるんだと)


 私は今、40過ぎましたが大手ゲーム会社でゲームを作るという、それこそオタクな仕事をしています。今の自分があるのはこういうオタク文化につかり、そこからいろんな技術や能力、面白さを知ったからこそ。だからこそ、彼の死に対して一部で「彼はオタクというものをメジャーにした立役者」みたいな取り上げ方をする報道には憤りを感じるのです。


 興奮して長文になりましたが、あの時代、彼によって負わされた負債はいまだに残っています。


 「もう過ぎたことをぐちゃぐちゃといっている」のではありません。今の漫画やアニメ、ゲームが大人でも気軽に楽しめる時代を作ったのは、彼やバラエティー番組が荒らした土壌を30年も根気つよく、地道に耕しなおした「好きなものを愛する」本当のオタクたちです。そのことを忘れてはいけません。

お前達おたくが気持ち悪いからバカにされてるのを人のせいにした挙げ句故人を侮辱
これはおたくがバカにされるのも納得ですわ


何人であろうと「何もしていない人間を飯のタネに馬鹿にする側を許すようなタレント」を「人のせいにした」とは言われないよ。お前の顔、気持ち悪いな!これを「恥辱された側がわるい」にすり替えられる

宅八郎は「自分一人を売り込むためにオタク全員を踏み台にした」人物という印象だったが、本人は「敢えてキモオタの振りをしていただけ」という話で完全に印象は最悪になってしまった。


そういう「オタクいじり」を安全圏から余裕をもって眺めていられたかどうかがオタクとサブカルの違いなんだろうな。どこかで見た「オタクとサブカルの違いとは異性からのモテを手放さない、失っていないこと」みたいな分類を考えれば。


十代の頃に趣味を共有して一番仲の良かった友人が次第にサブカル色を強めていき、彼が大学卒業間近になる頃に絶縁してしまったのだが、頭のいい彼が大学に入った頃からしばしば言っていたのが「頭のいい人間がバカをやるのが面白いんだろ」だった。今思えば宅八郎と同じタイプの人物だったのだなあ。

何せ酷かった。結構リベラルな空気が売りの我が母校ですら「オタク死ね」みたいなことを口走る奴らがいた。もっともうちは体育会系のメンバーにしてから頭が良くてリベラルなのでそんな空気はごく僅かな「大学進学を考えざるを得ない」不良たちの呟きでしかなかったものの。


何か新しいゲームを買えば必ず親の目を通さないといけなくて鬱陶しく、ストリートファイターシリーズの中古ゲームを買ったときには親に隠してケースをポイ捨てしてソフトをこっそり紛れ込ませたものだ。


一応「よくないこと」なのだがプリンセスメーカーをやってた私の友人のことを話すと、私の両親は「心から」彼の将来を案じ、ゲームやアニメ嫌いの父親は露骨に顔を顰めて極めて差別的な言葉を吐いた。


「オタクには何を言ってもいい」「何をやってもいい」という空気は公然としてあり、2000年代に入っても、「コミケ後のほんの少し混雑した電車」に乗ってきた女性二人組が「オタクって臭くてキモいよねー!」と大声で公言できる空気だった。


キスマイの宮田がオタク公言してるけど、多分あれ、20年ぐらい前にやってたらそれだけで人気が落ちた可能性がある。それぐらいの「オタク冬の時代」だった。「電車男」のドラマ化で「キター」だの「萌えー」だのがゴールデンタイムのテレビから流れてくるのをみて心から冷ややかな目を向けたものだ。


これらの空気を作った、その「アイコン」ともいうべき者があの「宅八郎」なのだ。とてもじゃないが彼を「オタク文化の普及に貢献した」などとはいえない。人をいじめてた連中が「お前が注目を浴びれるようにしてやったんじゃん!そのおかげで垢抜けたんだから感謝しろよな!」などと言いながら


「もはや何を言っても無駄だ」と、いじめによって狂わされた人生に疲れて項垂れてる元いじめられっ子の肩に無遠慮に腕をかけて哄笑している、そんな絵が浮かんでならない。

hbol.jp

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