ウエイン町山白す

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 悪趣味カルチャーは80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りだった。カーディガンを肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニスやスキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロや死体で嫌がらせしたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。


 「90年代に悪趣味や鬼畜やってたのはお前だろう」と言われたら「はい、そうです」としか言えないが、それは電通フジテレビでセゾンでトレンディで一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だったんだけど、わかんねえだろうな。


 根本敬村崎百郎が「日本を下品のどん底に突き落としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善のファシズムに支配されていた。それを知らない人が悪趣味や鬼畜カルチャーを批判しないでほしい。

これねえ、当時を知るものとして「わからんでもない」とは言わざるを得ないんだよね
その「オシャレと健全さと明るさと偽善のファシズム」こそがまさにオタクを差別し抑圧してきたものだからね
当時のオタクたちが「ロリコン」を自称してたことにもたぶん繋がっているんだろうな……


だからオタクはそんなに「逆襲」してない。当時「ロリコン」を自称するくらいの露悪的な言動はあっても、社会への逆襲なんてする余裕はなかった
スティグマがきつすぎてそんなことはできなかったんですよね

サブカルとオタクを繋いだのがエヴァンゲリオンだったと記憶しています。
アニオタと同時にサブカル方面で火が着きましたよね。

お洒落勢力が、ファシズムだったと言われても、ピンと来ないな私は。まぁネクラ・ネアカとかとも全く関係のないところに居たから、良くわからないんだけど。千葉パルコはイエローサブマリンに行っていたのが1番多いし。

男子はホイチョイのあの辺のコラム楽しんで読んでたと思うんですよ。と感じるのはネクラじゃなかったからかな… 渋谷系は今でも肌が合わないというか理解できないけれど。


私は決してホイチョイ好きではなかったけど、なんだかんだでCommunicationExcellentDentsuのバッチつけてISIDで働いていたから、ある種の都会文化を楽しむ感覚は決して嫌いではなかったかな。あの体育会系のノリは全然駄目だったけど。

合コンとかナンパとかありませんでしたね。読み物として別の世界の話しとして受け止めていたと思います。そんなお金無かった気もします。

サブカル業界内でのマウント合戦で、お洒落勢に、まけそうだったから鬼畜に走ったと町山智浩さんに言われても、オタクだった私からすると、そんな争いせずに普通に自分の楽しみを追いかけてれば良いのにって思ってしまうな。よく分からない。

世代的感覚は大きいと思います。
自分は町山さんのいうことはすごくズバリそうだよなあと思う一方、下の世代から見たら絶対当時のくらーい漫研オタク系の空気感はわからんよなあと思うので。
その頃、同世代の早稲田出身の編集さんが「サブカル嫌いなんだよ」と言ってて(続く)
あー気持ちわかるけど、もはや俺たちそっちに吸収されてね?みたいなことを思いました。
吸収された後に知った人は、ここのニュアンスはなんか意味わからんと思います。

世代感覚は大きいですよね……。大塚英志さんの語る「おたく」って、私には分からないし。だからライトノベル完全読本への寄稿を大塚さんにお願いしたら「俺はライトノベルなんて書いたことない!」って言われたし。好意的な寄稿者が多かったのに対して、大同団結できない人なんだなと私は思ったけど。

まあ頑なで偏屈なんですよ。
まあ世間がディスコでナンパ!とか言ってる時に下向いて漫画読んだり、ドアーズとかジョイ・ディビジョン聞いてた世代ですので。
勝ち負けとかマウントとかの話じゃないと思います。相性最悪という話で。
自分はその縛りは解けたけどw
その両者を繋いだ(で結局サブカルという領域に吸収されちゃった)のはVOW(宝島)だったんじゃないかなと。
そこに納得しなかった人は今でも頑ななまんまかも。

全然追っかけてなかったからなぁ。千葉パルコでもリブロとイエローサブマリンしか行かなかったし。後から知識として知ったクチで。オシャレ系と鬼畜系、渋谷系とゴス系が対立してたと言われても。清潔なシャツ着ることぐらいしか気にかけてなかった私からすると、両方ともお洒落としか見えなかったし。

多分当時の漫研、SF研、映研とかに所属してた人は同じ感覚持ってたんじゃないかと思います。
でもその研究会間でも微妙に対立あったりしてw宅さんが映研追い出されてうち(漫研)に来たり、松野泰己君(オウガバトル)が2年までうちにいたのは黒歴史で映研出身ということになってたりwまあなんか狭量

*1:80年代~90年代にかけての時期の「サブカルチュア」状況の裡に、期せずして走っていた亀裂というか、今となっては微妙で厄介な「違い」の認識について。当事者としての町山のお題提起と、それにまつわってぶらさがっていった無名の、でも同じく同時代の当事者としてのコメントの連なり具合。備忘録として。