続・ツルシ問題・メモ

 内田春菊とワタナベコウの大喧嘩。今にして思えば、ツルシカズヒコの「何か」に本能的に気づいた内田が凄い。おそらく同じ種類の人間だったのだ。また彼女の漫画に登場する、トッピーとデビィに似た匂いをツルシに感じたのだろう。なんの医学知識もないのに。


 トッピーはとっぴな行動ばかりのトラブルメーカー。デビィは自分のものと他人のものの区別がつかない。小室圭母子に似たタイプ。盗み癖がある。町山智浩に似て、嘘と現実の境界線があいまいだから、嘘ばかりついている。この種類の人間との接点が多かった内田春菊は、ツルシを見てピンときた。


 これはアカンやつやで。本能的に悟った内田は、ツルシと離婚するように「親切に助言」し、ワタナベと大喧嘩。対談は崩壊。爆笑しながら読んだ。みんなクレイジーヤンは読んだ方がいいよ。クレヤン面白いから。私もロフトプラスワンで最初にツルシを見た時に、不自然な無表情に違和感を感じた。


 今にして思えば、私もまた何かに気づいてたんだよな。当時は医学知識はなかったから、自分が何に気づいたのかわからなかったけど。今ならわかるよな。


 90年代サブカルの呪いに、ニュージャーナリズム志向がある。取材対象と一緒になって、グダグダになりつつ、その様子をレポートする芸風。それが私の浅い解釈だ。根本敬宅八郎、石丸元璋あたりがそれ。日本共産党の党員になってグダグダし、それをレポートする様子は、まさにニュージャーナリズム。

そこは評価していいとこだよなあとも思ったり。実は安田浩一も、そんなとこある。取材対象の女性とセックスしたと事実無根の不名誉な噂をネットのカキコで読んだが(それらしいラブホテル名まで表記。シレーヌだっけ?デビルマンみたいだな)、そうゆうノリが90年代サブカルなのだ。