房州権太、大槌屋になること

【思いつきツイッター小噺】


房州の田舎に生まれた権太は幼い頃から性悪粗暴で、長ずるにつれ悪い仲間とつるんで強請りやたかりのような真似を繰り返していた。両親や親族が何度も権太を窘めようとしたが、その度に人並外れた怪力を振るい、まるで耳を貸そうとしなかった。


ある時、賭場に出入りしていた代官の小姓と悶着となり、相手をさんざんに叩きのめしてしまった。流石にこれはいかんと察した権太は、役人の手が回る前に里を逃げ出し、江戸の町へと逃げ込んだ。
しかし江戸でもその性根は変わらず、しばらくすると、やくざ者の用心棒のような位置に収まっていた。


身の丈は七尺近く、三十貫を超える体躯を揺るがし、樫の大木を削りだした木槌を肩に担ぎ、権太は自らの怪力をひけらかして歩いた。
近くで喧嘩があれば真っ先に飛び込んで双方を叩きのめし、着飾った娘が目に入ればちょっかいを出し、商家の小間使いを見かければ金をせびった。


ある祭りの晩。
酔った権太は、出店の親父と些細なことで口論になり激昂した。今にも親父を捻り潰しそうな剣幕のところを、一人の浪人が間に割って入った。権太は構わず木槌を振り上げ、叩き潰そうと襲い掛かった。


次の刹那。浪人が刀を抜き放ち、納めると、権太の手には柄しか残っていなかった。


木槌の頭は、遥か彼方に切り飛ばされていた。
それと気付いた時には既に、膝裏を蹴飛ばされて地面に転がり、後ろ首を踏みつけられていた。


目を白黒させてる権太を縄で縛りあげると、浪人は河原へと引きずっていった。
何故か権太は抵抗しなかった。


権太は縛り上げられたまま、河原の小屋で一晩明かしていた。
目を覚ましたのは、件の浪人がどこぞから大きな板切れを一枚、拾って帰ってきたところだった。
そして懐から筆と硯を取り出すと、浪人は墨を擦りだした。墨を擦りながら、独り言のように、皴枯れ声で喋り始めた。

―性は悪。
―振る舞いは粗暴。
―短慮で仁の心にも欠ける。
―ただし、かいな力は唯一無二。
―この一点をもってして、人物と言えよう。
―仕事をしてみる気はないか?
―力と槌を振るう仕事だ。
―やり方は某が教えよう。
―仕事も某が探してこよう。
―続けて力と速さと技を磨けば
―いずれ某に勝てるであろう

いずれこの浪人に勝てる。
その言葉がやる気に火を付けた。その言は間違いないな、と縛られたまま吠える権太に向かって、浪人は墨痕鮮やかに「大槌屋」と大書した板切れを突き付けた。

―これがお前の屋号だ。いい名だろう?

翌日から、新たな木槌と金槌を担いで、権太は働き始めた。


初めの仕事は、廃屋の解体だった。人足頭の指示に従い、思うさま木槌を振るって壊して回った。短気で向こうっ気の強い人足連中とは、揉め事が何度も起こりそうになったが、その度に浪人に叩きのめされた。
次の仕事は水路の杭打ちだった。ただの一振りで杭を深く埋める様に、周囲は大いに沸いた。


その次の仕事は、石切り場だった。金槌で鉄杭を正確に打ち込み続けるのは骨だったが、細やかな槌の扱いができるようになったように感じた。
浪人は、権太が請け負った仕事が終わる度、次の仕事を探し終えて待っていた。
日の出とともに働き始め、日の入りとともに勤め終え、飯と酒を食らって寝た。


浪人が付き添わなくても仕事場で悶着を起こさなくなり、浪人が探さなくても仕事が勝手に舞い込むようになった頃。浪人が権太に告げた。

―昔の仲間が文を寄越した。
―仕事の話だ。
―二、三日で戻る。

権太は仕事を続けながら浪人の帰りを待ったが、十日経っても帰っては来ず、そのうち待つのを止めた。


いつしか「大槌屋」は、人足請負の界隈ではそれなりに名の知られる存在となっていた。
普請があれば、まずは権太の元に話が来た。予定が合えば請け負ったが、そうでなければ人足仲間の具合の良さそうな者を紹介した。
逆に、他の人足仲間から是非にと頼まれて、引き受ける仕事も増えてきた。


朝から乾いた風が強く吹きつける日だった。
権太はその日の仕事を終えて、腹八分目の飯を食い、そこそこの酒を楽しんだ後に、ねぐらに帰って布団に潜り込んだ。
うとうととしだした頃、風に乗って早鐘が聞こえてきた。


江戸の町が燃えていた。
しばらく呆気にとられた権太だったが、気を取り直すと着物の裾を端折り、襷をかけて鉢巻を絞めると、自慢の木槌と金槌を担いで駆け出した。
風向きと火の手の広がりを見て、先回りすべき場所に見当をつけると、天水桶の水を被った。最短の道順は、日々の仕事で頭に入っていた。


駆け付けた頃には、辺りの町民は既に避難が済んでいた。人っ気は無いが、風と火が爆ぜる音で喧しい長屋の中で、権太は存分に大木槌を振るった。火の手の先にある家屋を壊して、そこで延焼を止めるためだ。
この日の風は強く、空気は乾いていたため、火の回りは早く、大きく広がっていた。


町火消がいくつも出てはいたが、権太のいる長屋には誰も来てはいなかった。火が巻いて、近づけなかったのだ。
これはいかん、俺もこの場を離れなければと思案した権太が、ふと周りを見回すと、後方に人の群れを見出した。細い橋を渡って川向うに逃れようと、人だかりができているのだった。


権太は目を凝らして、人の群れの進み具合を確かめた。振り返って、風の流れと火の回りを見る。
間に合わないな、と権太は思った。このままだと、火が俺も、人々も焼くだろう。


ふと、件の浪人を思い出した。
俺は、あの侍よりも強くなれただろうか。


まだ残っていた天水桶の水を被り、鉢巻を解いて顔を拭い、改めて額に絞めなおす。
権太はまなじりをきっと上げ、両手に大木槌と金槌を握りしめると、煙を上げ始めた家々へと突っ込んでいった。


橋を渡ろうとしていた群衆は、後ろの火の手が左程近づいてこないことに、不思議がりつつも喜んでいた。


翌朝。


火の手の収まった長屋の一角で、大男の焼死体が見つかった。
片手に煤けた金槌を、もう片手に燃えた木の長柄を握りしめたまま、真っ黒になって立ち尽くしていたそうな。


橋に群がっていた町民は、火の手が回る前に全て川向うに逃げることができた。
後にその橋は「大槌橋」と呼ばれたという。


思いつきツイッター小噺、これにて了。
とっぴんぱらりのぷう。