「どうしてこうなった」へ至る道

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 ゆるふわ草食化された環境、とでもいうようなものがある。いまどき本邦の「日常」を規定している、ある種の環境。

 ことばがことばとしてしっくり機能しないし、できない。個別具体の事象を動かすためのことばが失われて、たとえ表面上は同じ単語同じもの言いであっても、それらに乗せて伝えられる中身というのがあらかじめどこか人ごとな「ポエム」的なものにしかならないという謎環境。とは言え、とりあえず耳に立つような響きではないし、それはそれで何となく穏当な、それこそあのポリコレ的にもすんなり合致しているかのように感じられる、そういうことばともの言いがかろやかに流れてゆく日々、てな間尺にひとまず収まっていて、わざわざ肩肘張っておのがカラダ張って何か言おうとしたりせん限り、とりま日々何事もなく過ごせることでもある環境でもあるらしく。そういう違和感、ひっかかりなどは腹の中やSNSであれこれガス抜き (それこそ「冷笑」wてか?) しておけばいい程度のこと。当然、何も事態は変わらんどころか、どんどん濃縮され、結果そこに漂うゆるふわはどんどん蠱毒化してゆき、その先には「どうしてこうなった」と思わざるを得ないようなあさっての方向なあかるい地獄絵図の阿鼻叫喚がそこここに、ということに。

 一昨日あたりから流れてきとった、このNTTの「ラグビー部乱入(真相は乱入でもなかったとしても)で元気に」事案なんかもう、典型的なそういうゆるふわ草食化環境におけるあかるい地獄絵図、の発現事案のような。素朴に言って、誰かどこかで止めたらんかったんか、それ、という案件。
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 記事の趣旨自体は、最近いわゆるGAFAに若い人材が流出してゆくのでそれを食い止めるにはどうしたらいいか、というお題に対して、本邦IT系企業を代表してNTTコミュニケーションズ (会社案内 | NTTコミュニケーションズ 企業情報) の女性人事部長サマにお話をうかがった、というものなのだが、Twitterその他のweb界隈のココロの琴線に響いたのはこの末尾の、記事の趣旨とはほとんど関係ないとも言えるとってつけたような部分。

「最近は、積極的にチームと職場のコラボレーションをしています。2018年には『押しかけラグビー』という企画を始めました。職場に突然、ラグビー部員がわーっと入っていって、社員にボールをパスしたり、体を動かしてもらったりするんです。割と反響があってNTTファシリティーズNTT西日本営業部などにも呼ばれて行きました」

 これに続いて、その企画の意義説明がこれ。まさに火に油としか。

「体を動かすのは健康経営につながりますし、そういうイベントがあれば会話が生まれるじゃないですか。雰囲気を動かすというか。ラグビーチームは我々の会社の財産です。試合に勝つのも大事ですが、チームの価値は何かと考えたときに、会社組織への貢献も必要だという議論になり、メンバーが考えた企画です」

 本邦一流のIT系企業 (だろう、やっぱ) の人事部長 (「ヒューマンリソース部長」という役職名からしてもういろいろとアレだが) が、その肩書きで垂れる若手人材流出問題解決のためのあれこれ能書きご開陳の一環として、たとえば弊社ではこういう「取り組み」「試み」をやっています、と得意げに披露してしまう、そのあたりのまさに「そういうとこやで」感がにわかに炎上の発火点になったらしい。記事の本体、若手人材流出のことなどはとうにそっちのけ、この最後の部分だけが論われていったことは、いまどきTwitter以下それらweb介した「読み」のありよう、リテラシーの質を考える上でも興味深い。

 そもそもこの記事の組み立てからして、どうしてケツにわざわざこんな挿話をくっつけなきゃならんかったのか、ラグビー部長もつとめているというこの女性キャリアの立場的に「いいハナシ」として入れとかなきゃならんと判断したのか、それとも先方から広報宣伝的な意味あいなどでラグビー部をプッシュしたいので押し込まれた事案なのか、現場のあれこれな事情は記事の字ヅラからだけではわからないけれども、ただ、結果としてこれらいまどき本邦一流の大企業の人事担当者のセンスというか、現場に対するマネジメント感覚というのがこういうゆるふわ草食化話法に見事に侵されていることが期せずしてわかりやすくうっかり示されてしまったあたりが、「わかるわ~、こういうワヤってうちでもあるあるだわ~」的な共感を静かに呼んだのだろうとは思う。まあ、この記事の書き手自体がそもそもその他もこういう程度のゆるふわ提灯記事を平然と書いてしまうような、そしておそらくはそれをご自分のお仕事と本気で信じてマジメにそれに邁進されとらす「優秀」な御仁、ではあるようだけれども、それはそれでまた別の問題として。
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 こういうゆるふわ環境、別の角度から言えばそれこそ「ポエム」が日常の業務なりルーティンなりを動かすことばの基本的な部分に居座っちまったような状況で、他人を実質動かしたり止めたり何らかの影響を与えたり、といった行為、つまり広義のマネージメント含めた営みが「ことば」を介して行なわれるという前提をないがしろにしたまま、小手先口先でだけことばを制御することばかり覚えて馴れてしまうと、それら「ポエム」ベースの日常をあたりまえにしてしまうことになり、その結果、業務やルーティンとしての個別具体とは紐付いていないゆるふわな「おキモチ」クラウドが事態を制御してゆくようになって、こういう「どうしてこうなった」な事態が途切れることなく延々と続くしかなくなるんだろう。いわゆるひとつの「おキモチ原理主義」の現在。また、だからこそ「改革」的な一発逆転、それこそあの維新なんかに代表されるネオリベグローバリズム上等なシバき主義の立ち回りみたいに、たとえ無理スジでも何でも強制的に「変える」、この現状を改変するというイメージ自体にうっかり解放感を抱いてしまうような環境が、かつての小泉「改革」などの頃とはまた違う文脈や背景の下に粛々と整えられてきているような気がする。*2

*1:「どうしてこうなった」あるいは「どっち向いて仕事しとんじゃ(#゚Д゚) ゴルァ!」な事案化してしまうからくりについて、のためのメモというか備忘録のひとつとして。「おキモチ原理主義」問題など同じく懸案のお題群と何とかうまく併せ技にしてゆくためにも。

*2:ナチスどうこうの比喩はほんまに筋悪いしダサいんだが、それでも昨今の「真実」「正解」大正義の「権威」渇望しとらす人がた、殊にいまどき若い衆世代の行状言動なども併せて眺めとると、このゆるふわ草食化された「ポエム」前提の「おキモチ原理主義」的環境とあいまって、ヒトラーユーゲント的な信心深さと、ゆるふわながらもある集約的興奮の気配も感じられて、なんというか……。このへんかつて小林よしのりが言った「純粋まっすぐ君」問題のその後の転変なども含めて、改めてお題にしとかにゃあかんとおも。