「我々は守りたいのです」話法・雑感

https://twitter.com/sa_kura_10/status/1413500507235045383?s=20

 娘が亡くなった翌日、学校から連絡があり、問い合わせに対し、娘がその学校に通っていた事、いじめがあった事をどう回答すれば良いか、問い合わせがあった。


 事実を回答すれば良いのではないでしょうか、と私は答えた。


 すると、学校は、いじめ認定を受けたのは事実ですが、加害者生徒も我が校の大切な生徒で、我々は、守りたいのです。と言われた。


 そこで驚きの会話

 「先生、娘は死んでしまったんです。なぜそんな質問を私にするのですか」
 「娘さんはご愁傷様です。でも加害者生徒は生きていて、未来がある。我々は守らなければいけないのです。」

 死んだ者負け
 相手は上級国民?
 確かに死亡した娘には、未来は無いわな

 こういう挿話、本邦「学校」現場がらみのトラブルに際して、割とよく出てくるようになっている印象がある。

 つまり「生きてるものが最優先」であり、それは自明の正義である、という考え方。それを「学校」の「子どもたち」を人質にしながら宣告してみせる、という、まあ、このへんは「学校」の「教員」カルチュアとしてあるある、ではあるんだが、それはそれとして。

 気になるのは、この「生きてるものが最優先」という了見の自明性、それこそあのさんまの「生きてるだけで丸儲け」的な価値観の暗黙の裡の「正しさ」みたいなものの来歴なわけで、これはやはり、本邦世間一般その他おおぜいレベルでの「戦争」体験あたりが根深く未だに悪さしているのかな、と思ったりもする。

 「戦争、ダメ絶対」という大きな共通理解が「そういうもの」として、自明の「正義」としてひとつ、要石のように置かれてしまった「戦後」のありよう。いや、それは確かにひとつの理念、常にそこに変えるべき国民的な信条としてあるのならそれはそれなのだが、ただ、本邦「戦後」の過程においては、その「ダメ絶対」だけが現実と乖離したところでどんどんひとり歩きしていったところがあるらしく。

 理念や信条ならば、じゃあそれを眼前の〈いま・ここ〉、現実のあれこれの方へ具体的に反映させてゆくには、さて、どうしたらいい?という方向での検討なり協議なりが始まらなければ嘘なわけで、「ダメ絶対」という理念のために、じゃあ具体的にいま、眼前の〈いま・ここ〉の状況において取り得る選択肢って何があるん?という問いもまた、国民的な共通理解として「そういうもの」の過程に含まれていなければならないはず、と思う。

 でも、本邦「戦後」は、そうはならなかったんだよ、らしいのだ。

 「ダメ絶対」を、このいじめの現場に考えなしに敷衍してみせたもの言いが「我々は生きている子どもたちを守りたいのです」( ー`дー´)キリッ ということだろう。判断停止、これ以上何も考える必要がない、という無限の無責任状態の宣告。それがその現場を共有する人がた全てにありがたく配給される「正しさ」であり、だから当然、加害者も被害者も、当事者も傍観者も、本来ならば被害者である側であってもこの「正しさ」に包まれて「そういうもの」にまみれなさい、という託宣としても機能する。

 「生きている」ということ自体が、もう、そのために何らかの負荷をかけたり、その状態を維持することに努力したり、いずれそれらの「制御」のためのあれこれの細かくめんどくさい営みからさえかけ離れたところで、ゆるふわの「正しさ」としてだけ存在するようになっているのだとしたら、そりゃ「おキモチ」しか残らない分、そこだけどんどん無限大に肥大してゆくだろうなあ、と。