日本的コミュ障と孤立・メモ

 日本人、察することを「当たり前」としすぎてきて、きちんとコミュニケーションを取ったり、相手に意思や気持ちを確かめないで「相手はこう思ってる!/こう感じてる!」と決めつけてドツボにはまって行ったり、相手とのトラブルが深刻になっていく。私もやられた事あるし、私も昔のままならそうなっていたかもしれない。


 私の両親はふたりともコミュニケーションが極めて下手で、父親に至っては他人と極端に他者と関わらない生き方をしていた。仕事や遠方に住む親戚などと話す時には完全に仮面(ペルソナ)と言っていいくらいの『よそゆきの仮面』をかぶり愛想よく振る舞った。妻子への態度とはまるで違う、とびきり愛想のいい「仮面」。妻子に対してはいつも気分次第で態度も言うこともコロコロ変わり、いま笑っていたかと思うと急に激怒し始めた。父親の「よそゆきの仮面」しか知らない遠方の親戚やちょっと世間話しかしない人達は知らない素顔。


 長年の観察の結果、他人に非常に愛想のよい父親の、その仮面は父親の精一杯らしく。精一杯の愛想よさを振る舞ったあとには、妻子にブチ切れたりしたので、相当無理して愛想よくしていたのだろう。そんな父親がコミュニケーションスキルが人並みな訳はなく。父親を反面教師にした7歳の頃から私は家族以外の人達を色んな意味でのお手本として学んできた。両親の言う礼儀とは表面的なことに過ぎず、ほんの少ししか役に立たなかった。


 手探りでやってきたから、私のコミュニケーションスキルも大した事はないのだけど、それでもまぁ、なんとかなる位には身に付いた。しかし、自分の親たちを見てきて思うのは「孤独に陥っても仕方ないコミュニケーションスキルしかない人」が孤立してる場合どう孤立させないか?とか、孤立してるからって家族や子供がいないとは限らないって事。うちの父親にも妻子がいましたからね。

 これはことわざにあたるのかどうか知らないが、「子は親の背中を見て育つ」という慣用的なもの言いが、本邦にはある。「男は背中で語れ」などとも言った。あるいは、「背なで泣いてる唐獅子牡丹♬」といううたの一節なども、また。

 要点はこの「背中」なんだろう、とずっと思ってきた。日本人と背中、とまで大風呂敷広げる準備は結局まだできていないのだが、でも若い衆相手の講義その他では、割と使い回してきた挿話の一部になっている。

 「背中」だから、その自意識のありようとしては「世間から見られる自分」ということなのだが、その見られ方についてこちらから積極的に働きかけたりすることは想定されていない。まして、言葉でその自分を説明したり、自分以外の他人と関係を持って、その上で表現してゆくような自分、というのも初手から考慮の外だろう。「見られる」のは、普段の常住坐臥、日常生活の中で生きて動いている自分という存在でしかなく、でもそれは必ず自分の望むような方向で見られ、「わかってもらう」に近づくことができる――なぜかわからないけれど、そういう信心のようなものが特に根拠もなく、にぶく抱かれているのが、そういう場合に想定されている本邦的「自分」の常だったらしい。

 そりゃ「コミュ障」としか言われないのも当然、かつてのあの寺内貫太郎一家の貫太郎のように、特に何も言葉にして説明しなくても「まわり」が勝手に忖度し、斟酌し、慮ってその思うところを察知してくれて、そうなるように動いてくれる、それが本邦の望ましい「家」であり「身内」であり「内輪」であったのだから。そして、その経緯来歴は、おそらくいま、われらが考えてみる以上にとりとめなく長いのだろう。

 「関係」も、そしてそれらの織りなす上に成立する「場」も、とにかく自明であたりまえ、水や空気のようにそれと意識しないものになること、それが理想の日常であり、いちいち言葉にして可視化し、確認し、共有してゆく手続きなど介さずとも、まさに「そういうもの」として「流れてゆく」、そういう状態こそが最も望ましい日々の安寧の実質だった。

 だが、昨今はもうそのような願いすら、持つこともできない。いや、昔だとてそんな理想がそのままに実現していた事例はそうそうあり得なかったはずで、なぜなら、生身の人が介して初めて現前化する話である以上、現実にはさまざまな齟齬や軋轢、理不尽や不条理がいくらでもはらまれて何とかたてつけを守ろうとぎくしゃくし続ける、まあ、ざっと言ってそれもまた「そういうもの」として含み込もうとしながらの、大きな「そういうもの」としての「コミュ障」前提のわれら本邦常民感覚でのあるべき「家」なり「身内」なり「内輪」というのが、願いとして理想としてあり得てきたのだろう。

 もちろん、こんなたてつけで日々生きているのだから、個々の人がたの裡では「孤立」が必然になる。これもまた、いまに限らず、昔とて同じだったろう。あらためてここにきて、わざわざ言い募られているような「孤立」が、にわかに大量に生まれてきたわけでもないだろう。ただ、その「孤立」の内実が時代のありように伴い、常に変わり続けてきたこと、そしてそれによって、そこから必然的に生じるさまざまな苦しみや痛み、辛さといったものをどのような表現としていったのか、というあたりこそが、本当に立ち止まって自省する/されるべき〈いま・ここ〉の問いになってくる。

 寂しい、遣る瀬ない、といった、今となっては陳腐でしかない紋切型のもの言いも、そのような「孤立」を受け止めてゆくための表現のある定型として、ある時期便利に使い回されるようになっていたし、そのような観点からいまどきあらためて意識されるようになっている「孤立」の現在を考えなおしてみることは、なにもいまさら現代民俗学とか能書き加えずとも、本邦の民俗学の見失われてきた本願の失地回復の一里塚にもなるんだろう、少なくともこの自分はそう信じる。