ふと思ったが。
— 喜多野土竜 ⋈ (@mogura2001) 2024年11月10日
和製サブカルとオタクの本質的な違いは、目的がモテたいなのか、自分の好きに耽溺したいか、なんだろうなぁ。
自分が異性の目を気にしてる・性的な目で異性を見ているから、オタクもアニメや漫画の二次元の創作物も性的な目で見ていると思い込んでる節が…。… https://t.co/c4CpC2Ufvc
吉田豪がいつから性欲を隠して無害男性を装うようになったのか知らないけど、過去のインタビューなどでは剥き出しにしてる
ふと思ったが。
和製サブカルとオタクの本質的な違いは、目的がモテたいなのか、自分の好きに耽溺したいか、なんだろうなぁ。
自分が異性の目を気にしてる・性的な目で異性を見ているから、オタクもアニメや漫画の二次元の創作物も性的な目で見ていると思い込んでる節が…。
オタクでも、そりゃ性欲はあるが、もうちょっと別のレイヤーもあるよね。
和製サブカル「私はアニメが好きで倍速で週20も作品を見ていまーす(女性の足を眺めながら)」
完全に煮詰まったオタク「初代ガンダムを0.2倍速で20回以上視聴し、20年越しに新たな発見を2つも得ました(論文)」
それですわ。
一見すると似てるけれど、本質が違う。
後者は、誰もが見過ごして物を発見し、新たな概念や意識をクリエイト=創造する。
前者は、ただの消費者なんですよね。
自分が好きなものを追求したい。がオタで、
他人から好かれたい支配したい。が和製サブカルなのかなぁと考えます。
ですね。
だから、他人の評価を異常に気にする。
吉田豪はサブカルじゃないです。サブカルは禁欲的、おたくは欲望に従順。宇多丸、ロマン優光も告白してるけど、全員が元はアニメファン。町山さんも宝島時代はサブカル嫌悪してた。
サブカルの定義にもよりますが。
https://note.com/mogura2001/n/ne50ba177c66c
サブカルチャーそれ自体と言うよりも、自身が表現者にもクリエイターにも研究者にもなれなかった・期待したレベルに至らなかった人間を、和製サブカルと自分は呼んでいます。
note.com
『オタサーの姫』なんて揶揄する言葉がある位だから、異性絡みでの揉め事とかは当然あるんだけど。こういうノリになるのは、それこそ一時代を築いた岡田斗司夫氏くらいまでいくと別なんだろうけど、普通のおたくのファンサークルくらいではこうはならないですね。
自分は正直、岡田斗司夫氏の件では、この人もしょせんはクリエイターではなく評論家で、異性が目当ての和製サブカル気質だったかと、ガッカリしました(でも影響は否定しませんし、その見識に教えられることも多々)。でも、吉田豪氏の反応には、なんか違和感があって。今回、答え合わせだったかなと。
彼のインタビュー手法って要は、数をこなす秀才の暗記型手法で、でも体系的な知があるわけでなく、また鋭い切り口があるわけでなく。梶原一騎先生への評価もズレてるなぁと。まぁ、でもプロレス業界は優しいので、アイドル評論から戻ってきても、迎えてくれるでしょう。大谷氏とか、男気をみせてますし。
吉田豪氏の印象はすっかりむっつりスケベに変わりましたね(笑)。ラジオ等で自分の女性の好みの話とか、性的な話を近年は振られても『古い考えの人だなぁ…』って感じで迷惑そうにして、一時は新宿二丁目に住む謎なカモフラージュしてたのに、これか…と。
エゴサ好きとか、自意識過剰のナルシストで、疚しい部分があるからかなぁ、と。
小倉智昭氏のヅラネタを全国ネットでネタにしても、自分の容姿については謝罪を求めてきた御仁ですし。
インタビュアーとして、性的な話は自分からもしないし、他人にも質問しないっていうポリシーなら、それは考え方として個人の選択の問題でしか無いですが。自分の性的な話はしない、他人にはインタビューでは適当にいい気持ちにさせて質問するってスタンスは、褒められた話では無いですね。
そのモテたい欲求をオタク向け作品に変換すると「ぼっち・ざ・ろっく!」になってしまうのは凄く面白いです
あの作品では、男の存在がほぼ父親ぐらいで、異性としてはほとんど出てこず。銀ちゃんは心は乙女ですしね。
吉田豪って誰やねんレベルの認知なんですけど、インタビューの内容とか見るに似非オタクとしか思えないですよ。この人なんなんです?
「おたく」と「サブカル」の違い、というやつ。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2024年11月11日
割とあたりまえに話が通じてやりとりされている印象で、
ただ、自分にはそのへんどうにもよくわからんまま、いろいろ眺めているだけだったのだが……
自分的にははじめて「ああ、そういう部分もあるのか」と思えた説明だった。 https://t.co/8wl3ZrAIrN
「おたく」と「サブカル」の違い、というやつ。
割とあたりまえに話が通じてやりとりされている印象で、
ただ、自分にはそのへんどうにもよくわからんまま、いろいろ眺めているだけだったのだが……
自分的にははじめて「ああ、そういう部分もあるのか」と思えた説明だった。
自分が好きなものを追求したい。がオタで、
他人から好かれたい支配したい。が和製サブカルなのかなぁと考えます。
「好かれたい」(≒モテたい)「支配したい」という欲望が一気に一般化した/されていった、その以前か以降か、でも違うのかもしれない、とかいろいろと。要検討お題。
下北の居酒屋でベレー帽被ってればサブカルなのかとばかり、、、、
「◯◯が好き」で語るのがオタクで、「◯◯なんか好きになるのはダサい」で語るのがサブカル、といういつぞやの狂人の解説には唸りました。
まあ、私みたいにオタクをマニア・ファンの代名詞にするな、自らをオタクと呼ぶな呼ばせるなという極少数派もいますので…。
宝島やビックリハウス読んでて、アニメや漫画にはあまり詳しくないけど大友克洋だけはしっかり履修してて、服装と髪型には多少のこだわりがあって(以下略
それたぶんオタク側の意見なのでお気を付けて。自らサブカルを背負ってると自覚する自分は真逆で、サブカルは禁欲的で孤高。おたくは性欲の従順で基本群れをなしたがる。前者は嫌われるの覚悟なんでコミュニケーションに難あるけど、後者は小さなコミュニティしか通用しない。
以前、書いた文で「サブカルチャー」という言葉を使ったら、「それはサブカルではなくてオタクだろう」と言われたことが。こちらはメインカルチャーの対義語として使っていたのですが、それ以降「ポピュラーカルチャー」を使うことが多くなりました。
サブカルというのをそこで知ったような。
BLはゲイじゃなくて少女漫画の亜種だという認識。
男女の不均衡に気付き、お気楽な恋愛少女漫画に没入できなくなった層が、「同性なら対等な恋愛ができるのではないか」という妄想で作ってる世界観。
だから登場人物の精神は女性。ガワだけ男性。現実の男性とは違うし、当然ゲイを描いてはいない。
うーむ。。アメリカのZ世代の女性オタクとかのLGBT系評論コミュニティの一部で、「日本のBL作家たちは、同性愛ロマンス作品を描いてキャリアを築いてきたのに、反トランス姿勢なのはおかしい」みたいな方向で盛り上がり始めたという情報が。もしかしたら、この先、一波乱くるかもしれないなぁ。。
懸案の「おたく」と「サブカル」の定義というか、線引きの問題。自分的にはひとつ割とわかりやすく補助線を引いてもらえたような気がした一連のTweet群から。
「承認欲求」が前に出てくるかどうか、単に自分が「好き」であるというだけで自足する/できているかどうか、というあたりの違いというのは、個人差個体差などだけではおそらくなくて、世代やその背後の情報環境などとの関連も含めた、言葉本来の意味での「歴史」が関わっているのだろうな、ということまで視野に入れてゆくための手がかりとして。
民俗芸能とエンターティメントの違いとか、それこそ民俗学由来な語彙なら、本来の祭祀≒「まつり」と「祭礼」の間とか、いずれそういう図式での理解をあててみることが必要らしく。