「一億総中流」再考、の再考


 かつての「一億総中流」というのが、実体を伴わないイメージだけのいわば「共同幻想」wに等しいものだった、というのは、すでにそれなりに学術的な検証もいろいろ施されていて、まあ、それなりの常識にはなっているし、それを下敷きにした同工異曲な本も山ほど出ているのだけれども。

 どうしてそのようなイメージなり幻想なりをある時期までの本邦の世間一般その他おおぜいが持っていたのか、もっと言えば「持つことができていた」のか、という問いについては、実はまだそれほど効きのいい言語化をつぶさにされているわけではないと思っている。

 1958年の国民生活の意識調査から、統計的な現象として可視化されていたということらしいのだが、そもそもその当時の「中流」という語彙に込められていた内実というのがどのようなものだったのか、そしてそれがその後10年ほどの間にさらに多数派を占めるようになっていった、その前提となっていた実際の日常生活のあれこれはどんなものだったのか、といったあたりのことが、自分などには常に気になる。

 「戦後のわが国の高度経済成長は、その底流において一貫して伸び続けた個人の消費需要を背景に、復興需要と昭和30年以後劇的な形で展開された技術革新に伴う設備投資需要を主柱として展開された。設備投資の急増をもたらした背景には金融系列ごとのワンセット支配主義があり、その結果、企業相互に市場占拠率をめぐる過当な競争が展開されることとなった。過剰設備にもとづくシェア拡大競争は、当然、生産の系列化を生むとと同時に、販売経路の短縮または系列化を要請する。34、5年ごろ家電業界の小売店獲得競争を皮切りに、30年代後半に多くの産業部門でも、大企業の販売店系列化が進行した。」


 「昭和31年は、闇市ジープ、パンパンとカストリ雑誌を背景に、裸電球の下で「世界評論」や「潮流」を読み、ドブロク=カストリと焼酎をぶっくらって、いつまでも議論し、喧嘩口論して、駅のベンチにひっくり返って寝る他に欲求のはけ口のなかった戦後が、神武景気に煽られて、消費ブームと生活様式刷新の30年代へと変身して行く転換期であった。」*1

 少し前、つまり敗戦直後のどうしようもない焼跡状態(そしてそれはわずか10年ほど前の、本邦内地の都市部の大方の現実であった)を思えば、あの頃よりはずっとマシになった――生活実感としてのそういう感覚は、具体的にはやはり身の回りに「便利」なものが増えてゆくようになったこと、実際のブツを介して実感される部分が大きかったのだろうと思う。

 何のことはない、「革命」は粛々と日常の裡から進行していた。日々の暮らし、理屈抜きに誰にでも「平等」に経験されてゆく過程の中で。

 暮らし向きが「よくなっている」あるいは「ラクになっている」という、これはこれでもうどうしようもない具体的な実感。もちろん、それはひとりひとりにとって、世帯ごとによって、措かれた環境や条件によって千差万別、さまざまな違いや格差をあたりまえにはらんでいる膨大な個別具体の集合ではあっただろうけれども、そして、〈いま・ここ〉の「現実」とは常に、いつの時代もそういうもの、ではあったろうけれども、それでもその実感としての「よくなっている」「ラクになっている」という感覚だけは、世間一般その他おおぜいの水準でのある確かさとして共有されるようになっていったはずだ。

 60年代状況というのは、そういう意味でほんとに「革命」が進行してゆく過程を、誰もが等しく目の当たりにしていた時代だったのだろう、とあらためて思う。そう思うことをまず素朴に認めた上でないと、〈いま・ここ〉からの言葉本来の意味での歴史――現代民俗学的な脈絡での現代史というのは、身にしみるかたちで描き出すことはできないだろう。

 ならば、戦後の言語空間というのは、それら「革命」に付随して必然的に起こっていた情報環境の変貌の真っ只中で、どのようにそれらの「革命」を認識しようとしていたのか、というのが、あらためて切実な問いになってくる。「一億総中流」というのも、そういう脈絡での当時の「革命」的状況に対する世間一般その他おおぜいの実感の最大公約数的な表明に対する、まずは素朴な言語化ではあったのだろう。そしてそれが、どのような意味にせよ学術的な手続きによって導き出された「実態」とはかけ離れていたことを、たとえ後知恵であっても指摘することも、それはそれで間違ってはいない。*2 ただ、やはりここでもまた〈そこから先〉、なのだ。

 「一億総中流」という世間一般その他おおぜいの実感の最大公約数と、それが当時の現実とは乖離していたということ、その乖離を指摘する言説も当時から、そしてその後も現在に至るまでそれなりに連綿と生起してきていること、それらを共にひとつの〈まるごと〉として、現在に至る相対的な過程として言葉本来の意味での「歴史」の相に織り込みながら、〈いま・ここ〉からあらたに言語化しようとすること。そういう方法的認識がまず、求められている。

 つまり、「一億総中流」の再考、もひっくるめての、われら同胞がうっかり達成し、うかうかとくぐり抜けてきた「豊かさ」の再考、が必要ということ。それらも含めての高度成長過程、60年代状況の「革命」の「歴史」についての、つぶさな言語化とその共有が、それこそ国民的規模で(大風呂敷すまぬ)いま、必要なのだろう、と。
 

 

*1:奥野健男だったか、磯田光一だったか、それともそれ以外だったか……すまぬ、メモがどっかいってしもて、どこから引っ張ったのか自分でもわからん……

*2:もっとも、当時から「それは現実的に違う」ということは、何も硬直した左翼的批判意識からだけでなく、実直な経済学なり何なりの側からも言われていたのだが、それはともかく。