革命モノが流行らなくなったワケ・メモ

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革命モノのアニメが近年流行しない理由を「あえて」社会評論と結び付けて騙ると、日本人はここ15年ほどの間に、東北の震災に代表される相次ぐ自然災害から生活基盤の喪失に対する恐怖と安定的な生活のありがたさやかけがえの無さを無意識に理解しているからでは、などと


現体制にブチギレて革命だとか武力闘争だとかをするのはハサウェイの役割であってスレッタやミオリネの役割ではないゾ(指摘)
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安定した生活は壊れやすいと心のどこかで理解しているから、それを人間の手であえて破壊することや、まで新たな世界を(それがどれほど素晴らしい理念に基づいていたとしても)1から再建することに無意識の忌避感があるんじゃなかろうか、と


ここからヘイトスピーチだけど、その辺フランスなんて夏暑いくらいで地震も台風もねぇ平穏な環境でぬくぬく生きてるから暴動だ革命だなんて言って暇人が暴れ出すんじゃないですかね
大革命の余波の通貨危機やら食糧危機やらも特に覚えてないアホばかりっぽいし


創作者の側を考えると、想像力の欠如や人間の悪意に対する無理解もあるような気が
革命してまで打倒したいほどクソな体制のイメージ構築が下手、というべきか
自軍兵士の遺体をプレス機にかけて運びやすくするなんて悪の帝国すぎる現実があるんだけど、そのクソみたいな体制を思い描けていない

革命が行き詰まった社会体制を人間主体でガラガラポンするものだとすると 大災害は「天による革命」とも言える。
現代日本人は人為的な革命や戦争の経験は乏しいが 時たまの大災害によってそれを疑似体験しており厭戦気分が醸成されてるんじゃないかと思います。

厭戦気分、その通りだと思います
人為的にしろ、自然災害にしろ、既存の生活基盤を破壊される場面が多い(近年特に多く感じる)ので、「革命」に疲れているのでしょう

見方を変えれば時折の災害は「ガス抜き」の役割を果たしていると言えるかも。
人間は退屈な平和に長くは耐えられない様に思います。

2018年時点でアニメーターの平均年齢は39.8歳だそうだ。
つまり、浅間山荘事件や山岳ベース事件を受けて「革命なんて世間知らずなガキが暴れる傍迷惑なオママゴト」との社会常識が形成された80年代に生まれ、人格形成期にオウム真理教事件、思春期に911テロを目の当たりにした世代。


制作者のバックグラウンドを考えたら、テロだの革命だのに対して肯定的な作風になるはずがない。*2

氷河期やん……

たぶんもっと単純で「革命後の世界」を描けなくなったんだろうと思う。もともとアニメの主人公たちは「革命に成功したので日常生活に戻りました」って感じの多いんだけど、これガンダムアムロがすでに「英雄になった人間がそんなに楽に暮らせるわけないよな」って後シリーズで示されてる部分あるし。

 ガンダムシリーズ最新作「水星の魔女」を起点にした一連のTweetらしいのだが……なにせ、前から言うとる通り、ガンダム一般ほぼほぼアウェイの身の上、こういう場合にもツケはまわってくるわけで。申し訳ない、その「水星の魔女」もあれこれ断片が流れてくるのを「ほお~」「へぇ~」と眺めては勝手に中身を想像している程度で、未だに現物は観ていない。

 ただ、ここで指摘されている「革命モノが流行らなくなった」という事態については、いろいろ思うところはある、老害化石脳なりに。

 「革命」とは要するに卓袱台返しであり、一発逆転であり、ガラガラポンである。

 スクラップ&ビルド、てなことが言われるが、そのスクラップ≒「破壊」とビルド≒「再生・構築」をひと筆描きに想定して、実際そう動いてやらかしちまう、と。ああ、そう言えば、「再生のために、今はまず破壊を‼」てなことも言われとったりしたような。

 なんでそんなことができたん?という素朴な問いがいまどき若い衆世代でも普通に共有されとるわけで、でも、その理由について納得ゆくように説明する/できるオトナの側というのも、実はそうはいないような。

 破壊するにもまず気力体力時間が必要だし、そうやって焼け野原の更地に一旦したあとで、新たな構築をまたやる、当然それにも気力体力時間が必要で、もちろん生身のニンゲンのやることだから、その前提にゼニカネ食い扶持の問題も常に伴ってくるし、その最終目的の理想的な現実の構築のゴールに至るまでの時間、誰もがそうそうつきあっていられるものだろうか、という生身のニンゲン本来の不確定要素もついてくる。

 なんだかんだで、そんな「破壊」を前提にして、いくら理想の現実、あるべき社会をつくるんだ、そのために必要なんだ、とは言え、その結果が本当に今よりましなものになるのか、その保証はどのように、どこの誰がしてくれるんだ、失敗したらどうするんだ、いや、途中でどうなったら失敗だと判断できるんだ……などなど、別にいまどき若い衆でなくても、かつての若い衆でもオトナでも、普通に素朴に考えたらまずそういうギモンがいくらでも出てくるはず、なんだろう、そもそもの話をするならば。

 ならば、なぜそんな一発逆転、理想社会をつくる、なんてことに腰あげて向かうことができるような信心、信仰が宿ることができたんだろう。「革命」であれ「世直し」であれ「一揆」であれ、ざっくりそのプロセスは同じようなもの。千年王国とかミレニアムとかもひっくるめて、人類の文明史上、似たようなムーヴメントはいくらでもあるし、どこかで信仰や宗教めいた熱狂、帰依のはたらきが介在しないことには、なかなか本当に現実のものにもならないものらしい、昔も今も。

 ということは、そもそもそういう信仰や宗教めいた熱狂が宿りにくくなったということ。言い換えれば、「革命」的なガラガラポン、「破壊」を必然的に伴うような一発逆転やってみようず、となる/なれるような心境から、世間一般その他おおぜい、距離を置く/置けるようになった、ということではあるらしい。

 と同時に、その「破壊」で一度はワヤにされるこの現実というやつも、そこまで全部まとめてぶっ壊さねばならんようなものなのか、という気分が大きな下地にあるのだと思う。いや、そりゃあれこれ不満はあるし、どうもならんのかこれ、とボヤかざるを得ないような現実を誰しも生きているけれども、にしても、だからと言ってそういう〈いま・ここ〉の現実を全部一旦チャラにして一からもう一度新たな作り直す、なんてこと、ほんとに可能なんだろうか、という問い以前にまず、どれくらい時間かかるん?カネその他いくら突っ込まにゃならんのん?てか、その間、自分のこの人生はどうなるん?――などなど、まごうかたない個々の事情、ひとりひとりの抱える現実に即したツッコミが自然にまず入るようになった、そういうセキュリティのかかり方というのも、本邦高度成長以降の「豊かさ」のもたらしたある現実なんだと思う、良し悪しはひとまず別にして。

 いまの暮しが大事、というと何やら小市民的(このもの言い、かつては罵倒嘲笑的な意味があった)で、「ミーイズム」などと呼ばれて一時期は、天下国家を憂いてみせるのが仕事と思っていたインテリ知識人文化人およびそれらを雛型とする通俗ワナビー衆などもひっくるめて、なかなか人気のあった「批判」「批評」話法の主要語彙だったりもしたものだが、いまやそちらが「そういうもの」として自明に共有されてるようになっている。本邦世間のセキュリティの要石のひとつとして、そういう〈いま・ここ〉の「日常」「暮し」が守られるべき、という「そういうもの」感覚がすでにできあがっているのだと思う。

 それらを輪郭確かにしていった契機として、震災や津波などの大きな自然災害による容赦ない破壊の経験があった、という見立ては、基本間違っていない。ただ、同時に、それがアメリカの9.11のように、どこかの悪人たちのせいでそういう厄災が引き起こされた、という説明に決してつながらない、「自然」災害で「どうしようもないもの」であることが、これまた良くも悪くも本邦いまどきの「日常のかけがえなさ」ベースの現状維持マインドを規定しているところもあるように思う。具体的などこかの誰かのせいにできない、少なくとも直接の下手人として特定しにくい、そんな大規模災害「しか」本邦は意識されなくなっている。構造的とか呼ばれるような、それこそ「見えない巨悪」みたいな話法も未だにあるっちゃあるけれども、でもそれは見えないんだからないのも同じ、〈いま・ここ〉のこの暮しの平凡な連続こそがいちばん〈リアル〉で大事なもの、という感覚は、そこに根ざした価値観や美意識、世界観(言葉本来の意味での、為念)などと共に、いまどき本邦サブカル系表現の、たとえジャンルは異なれど、そしてその受け入れられ方を計測する市場の規模などともひとまず別に、およそ世間一般通俗大衆その他おおぜいのココロやキモチにどこか刺さってゆくような何ものか、を宿しているような作品には、濃淡ともかく基調音のように流れている印象。

 このへんもう少しあれこれ考えてみなければならないお題だとは思うけれども、たとえば、かつての英雄主義、わかりやすいヒーローやヒロインといった突出した個性と能力を持った個人が、われら凡俗「みんな」を導き、助け、鼓舞しながらあるべきゴール≒理想へ向かってゆく、といった「おはなし」話法の定型の効きがどんどん減衰しているらしいことや、何よりその理想というゴール、今よりましなより良い明日、といった想像力そのものが、もうその他おおぜいの視線として合焦できなくなっていること……などなど、ああ、またもこのへん、正しく現代民俗学の責任として言語化しておかねばならないお題群になってくるんだろうな……

*1: ガンダム一般ほぼほぼアウェイなことのツケは、こういうところでもまわってくる……(´;ω;`)

*2: ほい、その制作者(だろう)ご指名でじきじきにお話させてもらったことも、実はあったりするから、他人事ではないのだわ、このへんのお題は。 king-biscuit.hatenablog.com