岸信介こそ敗戦利得者にとって最大の怨敵だった。戦犯として巣鴨で散るはずだったものが政界に復帰し、まさかの首相となり、あまつさえ安保闘争を敗北に追い込んだ。国会を囲んでも「今日も後楽園球場は満員じゃないか」の捨て台詞を残された。左翼にはこの時の悔しさと憎悪が骨髄に染み込んでいる。
— 剣kenn (@hskenncutter) 2023年7月9日
岸信介こそ敗戦利得者にとって最大の怨敵だった。戦犯として巣鴨で散るはずだったものが政界に復帰し、まさかの首相となり、あまつさえ安保闘争を敗北に追い込んだ。国会を囲んでも「今日も後楽園球場は満員じゃないか」の捨て台詞を残された。左翼にはこの時の悔しさと憎悪が骨髄に染み込んでいる。
岸信介の孫である安倍晋三は、狂気左翼が安保闘争以来の怨念をぶつける相手として最適だった。ただ、若い安倍晋三は毛並みの良さで官房副長官まで出世したが、線の細さもあり岸信介の代理として怨念をぶつけるには物足りない相手と思われていたろう。少なくとも小泉訪朝までは。
しかし小泉訪朝以降、狂気左翼は安倍晋三が岸信介に匹敵する強敵であることを思い知らされた。金正日が拉致を認めたことをキッカケに、社民党の党勢は一気に凋落。周辺知識人・文化人はワイドショーで自民党の議員にやりこめられる始末。安倍は順当に官房長官、幹事長へ出世していく。憎悪は募ったろう
そして小泉純一郎による後継指名もあり、郵政選挙で得た衆院2/3の議席を丸ごと受け継いで、第一次安倍政権が発足した。ここから狂気左翼のなりふり構わない安倍叩きがスタートする。岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三と続く家系3代そのものを否定するごとき恐るべき攻撃が始まった。
この攻撃がいかに常軌を逸した狂気の沙汰だったかは、「安倍叩きこそ朝日新聞の社是だった」と言えば足りる話である。潰瘍性大腸炎という難病もあり、第一次安倍政権は無念の終焉を迎えた。恐らくここで狂気左翼は勝利の快感を味わったはずだ。この流れは政権交代まで行き着く。
ところが政権交代後の悪夢の民主党政権を経て、安倍晋三は復活してしまった。第二次安倍政権は憲政史上最長となった。2012年12月の総選挙以来、あらゆる国政選挙で狂気左翼は負け続けるはめになった。彼らは自分たちが日本の非主流派であることを、岸信介よりもハッキリと、安倍晋三に思い知らされた。
怨み骨髄の岸家の小せがれに一度は勝ったと思ったら、リターンマッチで秒殺KOされたどころか、歴史上最悪の連敗記録を喫する生き恥を晒すはめになったのである。拉致事件の頃にテレビでやり込められた左翼は、もうこの頃になると「アベシネ団」の一員になっていた。暗殺事件に至る経緯はこんなところだ
テレビ討論会でも安倍晋三は歯に衣着せず、社民党や系列商店の社民連だった菅直人を舌鋒鋭く攻め立てた。「シンガンスを釈放しろと言ったのは菅さんですからね?」の一言に、「ちょっと待って、ちょっと待って…」の釈明とドリフの音楽が合わさる動画は傑作である。
安倍晋三に徹底的にやられた、手も足も出なかった、悔しくてたまらない、殺してやりたいぐらいだ、という憎悪は確かにあったと言わざるを得ない。問題はそれが日本のマジョリティどころか、ごく一部の狂気左翼に留まることだが。
安倍晋三が壊したのが彼らの夢や物語だったと考えれば恨みの深さがよく分かるという話ではありますなぁ。(あくまで彼らなりの)「革命」とか「民主主義」という夢を現実の力で叩き潰したんだもんな、そりゃ恨まれる。あの異常性の淵源はここでしょう https://t.co/ChX7WgEWuL
— 幸せの白い鳥(ギブソン所有者) (@usovich) 2023年7月10日
金正日が拉致事件を認めた直後、社民党HPの掲示板がどんなことになっていたか、知っている者は少ない。今のTwitter炎上どころではなかった。あれこそ正真正銘、阿鼻叫喚の生き地獄だった。社民党はあれで崩壊した。周辺左翼はこの事態を招いた安倍晋三を深く憎んだ。
— 剣kenn (@hskenncutter) 2023年7月9日