水商売の人たちの末路・メモ

水商売、風俗の人達の末路はどうなりますか?

 祖父との離婚後、有名ホテルのマッサージさんから始まって、小料理屋やスナック勤務からパチンコの景品交換などを経て、数軒のトルコやサウナの経営者になった祖母がいます。(もともとは専業主婦でした)


 小学校の頃、一度だけ母親のお供で「仕事場」であるお城みたいな建物に数十分だけ訪問し、ロビーの奥の応接室みたいな部屋に通されて、妙に薄着で綺麗なお姉さん達にジュースをもらった記憶があるだけで、当時の事を詳しくは聞かされていませんが。


 私が貧乏学生の頃、苦悩の果てに学費を借りに訪ねた折には、お昼から贔屓の焼肉屋さんでしこたまご馳走してくれて、

「食べたかい?それじゃ、そろそろ行こうかねぇ」

 と出掛けた銀行では、玄関先で支店長さん達数名が出迎えてくださいました。


 乗り付けた私のボロ車は、我先にと鍵を引ったくるようにして課長さんが駐車場へ。。。


 応接室にて、支店長さんを「アンタ」と呼び、「○○社長」と呼ばれるばーちゃんを見て、当時の私は軽くショックを受けました(笑)


 ひとしきりの雑談のあと、私に向き直った支店長さんが仰った言葉は、

「では、今日はいかほどご用意いたしましょう?」

です。


 「何百万なら預金が」とか「幾らなら今すぐ現金が」というレベルの雰囲気じゃなかったです。


 たしかに、当時祖母が独り暮らしをしていた自宅は、銅色の屋根、襖やガラス障子のフチがすべて丸く造形され、エグい彫り物がされた欄間が嵌まった、生活感皆無のだだっ広い家でしたが、離れて暮らすのん気で無知な私には、それらが何を意味しているのか、なぜ今まで祖母のお仕事について両親や親族が日頃、口にしなかったのか、よく判っていませんでした。


 時は流れ、現在は「自分のお金で」施設に入居、最近はとうとう私が誰かも判らなくなってしまった様子ですが、あのころ晩酌しながらポツリと話してくれた、

「切なけりゃ、寝ないで他人の三倍働くんだ」

という言葉や、

「客をマッサージする自分の手が紫色になった」

「社員の給料を払うために、夜間の土木工事もした」

という若き頃の昔話(武勇伝)は、今でも私の記憶の片隅にありありと残っています。


 ちなみに、当時の祖母の住居、現在は私の従兄弟家族が二世帯で暮らしており、晩年に新築したもう一軒の自宅には、私の弟家族が住んでます。
(我々がその区域に、今から似たような家を建てるなど、たとえ無金利の100年ローンでも完全に無理ですので)


 昔から親族の誰かが「まとまった額のお金」が必要なときには、二言三言ボヤきの混じった有難いお説教を正座で聞いたのち、帯封のついた真っ更な紙幣が入った封筒渡される、という流れで、それはいつもの祖母の姿だったようにも思います。


全員、ばーちゃんには頭が上がりません(笑)