「民俗」の発見と「児童」の発見の関係について。あるいは、民俗学と児童文学の、本邦近代思想史上の相似性について。たとえば、共に近代的な〈知〉の通俗化と凡庸化のある接点において、その版図をうっかり拡大してきたという意味においての。
これはあの柄谷行人が今さらながらに柳田國男を相手取ってあれこれいじるようになった、その脈絡の必然とも重なってくる。
柄谷的な、あるいは本邦ボストモダン的な文芸批評の文法に(敢えて)従えば、「児童」の発見にはそのための「文体」があらかじめ発見されることが必要であり、その「文体」は「内面」「自己」という近代的自意識がその輪郭をある程度以上明確なものにしている必要があったということ。ゆえに、「児童」が「風景」のように発見されたのと同じように、「民俗」もまた、そのように発見されていった過程があったと考えることは、この脈絡においてはそれほど無理な話でもないだろう。
もちろんそれは、さらに焦点を大きく広げるならば、いわゆる「現実」の発見、もっと言えば「日常」や「生活」「暮らし」などのもの言いで表象されてゆくことになるような〈いま・ここ〉をそのように見出してゆく脈絡にまで敷衍してゆくことは可能だろう。あるいは、さらに少し違う方向に広げるならば、折口的な意味も含めての「古代」や「むかし」、「文化の古層」といったもの言いによって表象されようとしてきた領域の発見にもつながってゆくのかも知れない。だが、それらの方向性に向けての考察はここではひとまず措いておく。
「民俗」の発見、ということから考えるならば、所与の自然、自明の現実としての農山漁村的な生活、いつの頃からか「そういうもの」として連続していて、それが世代を越えて「伝承」されてきていると思われる、そのような現実が、何らかの概念や枠組みを介して改めて別の何ものかとして立ち現れるようになる過程ということになる。それを「民俗」と名づけるかどうかは別にして、少なくともそのように自明でない新たな何ものか、として認識されるようになる、そのことにまず合焦してみたい。