「面倒みる」ということ・雑感

 あれらにはあれらの世間がある、という言い方に伴う尊重の仕方。この世は決して誰にも均質な空間ではない、という「あたりまえ」が前提になっているということを忘れないようにしたい。

 子ども、というもの言いにしても、「子」ども、のはずで。その「子」にしてもある意味「そういういきもの」という「そいつらの世間」の存在が前提の上でのことだったりしたらしいわけで。

 カタチ見てくれは「小さなおとな」であっても、だからこそ同時に存在としては「そういういきもの」という「別の世間」を生きているらしい、でも/だから「大きな≒ちゃんとしたおとな」の型を真似させてゆくことで「こちらの世間」に引き寄せてゆく、そういう「民俗」レベル含みの「教育」の考え方。

 年上が年下の面倒を見る、世話をする、という「関係」とそれによってできる「場」がそういう「民俗」レベル含みの「教育」には必要だったわけで、それを「上下関係」とだけ解釈して「個人」「個性」への「抑圧」とだけとらえるようになっていった過程と、それによる弊害について。

 たとえば、旧軍での「戦友」というもの言いにも込められていた、でもおそらく戦後の過程ではどんどんなかったことにされていったココロやキモチの領域。

 この「面倒みた」の背景に当時共有されていたある内実、とか。

 めんどうみたヨ/植木等

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 こっちの方がわかりやすかったか(´・ω・)つ 
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 「言いたかないけど、めんどうみたヨ」というキメの部分。「昔、面倒みた(だから)その「恩」は感じてくれているはずで、その分いま助けてくれる≒「恩」を返してくれるはずorべき」というリクツ。「敢えて言いたくはない&言うのは野暮だけど」というあたりも含めての機微(´;ω;`)

 でも、戦後のこの時期(1963年?)にはもうそういう機微自体、距離感持って半ばギャグとして受け取られる程度にゃ、そういう「民俗」レベル含めた戦前由来の世間の感覚に対する相対化or世俗化が始まっていたわけで。

 昨日だか触れた、初期の美空ひばりを「子どもらしくない」と糾弾するようになった「戦後」のある種の「市民」感覚とも通じる何ものか。「カタチだけ小さなおとな」を真似て演じてみせることを喜ぶ世間、ってのはそれこそいわゆる演歌や浪曲(少年浪曲ってのがあったくらいで)なんかの「民俗」と地続きな芸能領分じゃフツーだったわけで。そういうのをグロだキッチュだ、と見る感覚は「市民」的で「モダン」なもので、むしろ「カタチだけ小さなおとな」をうまくやってのけることは、おお、こんなに立派におとなに近づいている、的な称賛の対象だったはずで。

 初期のタカラヅカにしたところであれ、「お伽」というフィルターがかかっていたから「市民」的「モダン」の側からすんなり見てもらえた面あったはずで、でも見ていた側の心性的にゃ「カタチだけ小さな何ものか」を見る感覚は未だたっぷり共有されとったんでないかいな、とかいろいろと。

 そういう文脈含めた「学芸会」の歴史性の解明ってもうやられとるんだっけか。

 小林一三モダニズムってのはもう定説的に語られてるし、それがタカラヅカの下地に、的な脈絡も同様に、だけれども、でもその小林一三の趣味性癖が無自覚な「足ながおじさん」だったかもしれんことは前々から示唆しとるんだがな……「市民」的「モダン」ゆえの闇というか。