ゾーニング・メモ

 昨今カタカナもの言いで「ゾーニング」とか言うとるけど、要は「仕切り/棲み分け」なわけで。で、それは法律とか制度とかでも具体的な壁や障壁というだけでもなく、それぞれ個人のココロの仕切りが実はに大きく機能してたらしい、ってあたりの考慮が昨今なくなっとるような。

 子どもには子どもの、おとなにゃまた別の世間があるんだろうな、という感覚。男と女も同じ、人間と犬や猫その他に対しても基本地続きで。その向こう側をむやみと知ろうとしないし覗いたりしない、関わろうともしないという約束ごとが善し悪し別にとりあえずそれぞれのココロの裡にあった、と。

 それを倫理とか通俗道徳とかそういうことばで表現するのもありかも知れんけど、名づけ方はともかく「そういうもの」として共有されとったその種の見えない仕切りorゾーニングってのが何となくあって、その上でタテマエとしての現実の仕切りや棲み分けも機能した/できたというあたりの機微が、な……