
「戦前」が「意外と豊か」という歴史認識、昭和初期モダニズム全盛時の都市部の世相風俗に特化して合焦するような習い性がここ四半世紀ほどで一般化したこと、それによって従来の「戦前/戦後」分断史観を相対化する「驚き」ともあいまってのことかと。
都市部の世相風俗やその前提となった大衆社会化など「だけ」を中心に置いて見てしまう歴史社会観が、高度成長以降生まれが多数派になったことで一般化していったこと。「社会」も「経済」も「農村」(非都市)前提で成り立っていた認識だったことさえすでに「歴史」に織り込まれてしまっていること。
「戦前/戦後」を分断して「別の日本≒悪い時代」としての「戦前」の刷り込みが戦後、学校教育以下「そういうもの」として強かったことの反動として、なんだ結構地続きだったんじゃん、的な親しみが驚きと共に湧いてきて……という機序。
加えて、文字活字資料以外の写真や映像、グラフィック系の資料も容易に参照できるような情報環境が、それらを「等価に」資料として見ることのできる感覚やリテラシーの浸透と共に、整備されていったことも。
逆に、かつてそっちが前景だった「農村」( 非都市)的な「社会」「経済」の内実は、近年支配的になってきた大衆社会的な「都市」生活の世相風俗含めたフィルター介して後景化してしまい、全体としての「歴史」像そのものの構図というか成立ちごと変わってきているらしいこと。
釣りキチ三平の作者の自伝的漫画に、昭和20年代から30年代の農村の暮らしが克明に描かれていますが、それを見るだけでも現代と地続きとは捉え難いですね。その時代でも明治を知る人は「今の若い物はロクに働かずに良い暮らししとる」という始末。ましてや戦前は
マチとイナカ、都市部と地方、そして地域ごとの、それを見る側/見られる側の世代ごとの、さまざまな偏差や違いを多様にはらみながら「社会」は「歴史」に転生し続けるものらしく。
都市部は明治時代から高等遊民がいるぐらいだし
いわゆる「(近代)文学史」なんてのは、その言説やもの言いそのものをそのような「高等遊民」目線での社会史生活史の民俗資料として「読みなおす」ことで、案外まだ結構いいダシを出してくれたりするものだな、と。(クソ外道な眼つき)
兵庫瀬戸内だと戦前なら、北の山を越えると景色も人()も全然違うという話を聞いたことがある。山を越えると畜産や皮産業関係で血で臭いとか川が…と開発が全然だったみたいな話は婆さんに聞いたことあるなあ。今みたいに大規模施設で処理するわけじゃなかったとか。
戦後のニュータウンなんか再開発もそうだけど、その辺を薄れさせたいからというのもホンマかどうか知らないけど聞いたなあ。勿論ただ山を削ったり新規開拓や海を含め埋め立て地とかもありますが。まあだから兵庫は今でも地域の一体感なんてないんですよね。それぞれの地域が独立してるというか
その「薄れさせたい」という意志や想いがある程度〈リアル〉だったとしたら、それはそのような開発や変化を推進した側だけでなく、戦後を生き残った当時の本邦同胞世間一般その他おおぜいの側にとっても、だったんだろうと。
「戦前」≒「悪い日本&時代」をそうまでむりくりに、一気呵成に「なかったこと」にしたい、という想いは、良くも悪くも官民不問の「気分」として、戦後のわれら同胞世間一般その他おおぜいの間に宿っていたんだとおも。
少し異なるあらわれとしての「自虐史観」なども含めて。
兵庫は瀬戸内は空襲で一回姫路城以外は大体の都市は焼け落ちましたからね…リセットしてしまったから、色々と不都合なものもその際全部なかったことにしたいみたいなノリはあったのかなあと。インフラ整備で如実に差や偏見はあったのは事実っぽいですから…
たしかに!!>「戦前/戦後」分断史観を相対化する「驚き」
大阪の写真、戦前でも電気とビルは当たり前でしたからね。
歴史が政治+関連する経済に終始していたので戦前と戦後を大区分とし他は見えなくなってますね。社会生活面では団塊登場と地方東京化開始の65年位が大区分の様な気がしています。ご指摘の資料のビジュアル化は肝ですね。映像の世紀なども