アニオタ「ヤマト」以前・メモ

あさりさんの言葉をお借りすると、ヲタクという呼び名がまだない人々が荒野の木を切り、岩を取り除いて種を蒔いたところに生えたのがアニメージュ


で、そこから育って花が咲き、人々がやってきて見事に街になったのが今のアニメ文化まわり。


月刊OUTは、もともと「サブカル誌」で、サブカルの一環と沿て当時はやっていたヤマトを取り上げたところ爆売れしたことをきっかけにアニメ誌になっていった。最初のアニメ専門誌は「季刊ファントーシュ」。


アニメージュは、児童誌であるテレビランドを母体とした「ロマンアルバム」シリーズが売れたことで、中学生以上をターゲットとしたアニメ版「明星(集英社ティーン向け芸能誌)」として創刊されたワケです。

out以前、アニメと言った物の情報を扱っていたのは、漫画雑誌だけだったのでは無かったかな・・・
其れも、作品のアニメ化がないと掲載しなかったと思います。
そういった意味で、outのヤマト特集は貴重でした。

アニメという単語そのものが一般的ではなかったですからね。
サブカル誌で先鋭的に取り扱ったのがOUTでしたね。


そういえば、漫画に詳しかった御姉様がトリトンのプラコッブを持ってましたなあ。大事に20年近く使ってたということになるのか…グッズもそんなに無かった頃の物ですよね〜

そうですね。トリトンロマンアルバム的なモノが何冊か出ていましたね。OUTはおっしゃるそれがバカ売れして一気にアニメ誌に舵を切った。それはもう見事なくらいでした。

そうですね。ヤマトはアニメ界というものを世間に知ってもらえた作品と個人的に思ってます。社会現象として当時のサブカル番組に取り上げられたりしたのはヤマトからですよね。