魂の告白

 以前「絵が下手な人が、明らかに自分で興奮しながら書いてる特殊性癖絵が好きだ。下手なぶん「俺はコレを描きたい!」という、書き手の心が絵にうつるからだろう」と書いたのだが… 残念ながらAI絵の登場によって、この「下手な作者の心が絵にうつる現象」は失われてしまったようだ。実に嘆かわしい


 コレはねぇ、技術云々とかじゃないと思うのよ。多分作者の「心」そのものの強度が減ったことが原因ではないか。昔の下手な人は一枚の絵に全てを賭けたじゃないか。でも、今はAIで何枚も作れるから「コッチはどう?このバージョンは?」とやれる。その甘えが「一枚の下手な絵」にはあった何かを奪ってる


 しかしねぇ、俺達の感性は常に技術の進歩とともにある。昔は「シンセサイザーには心がない」と言われたが、今やシンセが俺達の心だ。だからAI絵でも「心がうつる」は可能なはずなんだよ。コレはやはり気合の問題だ。俺はこの一枚のエロ絵に全て賭ける!という精神があれば、例えAIでも… おい、聞けよ


 それは兎も角。最近私をフォローした人は知らんと思うけど、私は女ザコが好きでね。当然AI絵はこの女ザコと相性がいいワケよ。で、今、AI絵が凄く嫌われるの見ると「あぁ、やっと物語の主人公と同じ立場に立てたなぁ」とも思うんだ。物語の主人公は劇中で女ザコに本当に邪魔な存在だと思ってるからね。


 そして俺も世間(の多くの人)もAIの大量生産絵はちょっとな…と思ってる。でも、だからこそ俺はようやく女ザコ絵と「正しく」「本当の意味で」向き合えるチャンスを得たとも思うワケさ。やっぱコレを生かさないとリョナラーじゃないよな、と。


 この連ツイはネタツイではない。魂の告白だよ。