コレって、サヴァン症候群の天才たちのイメージに近いんだろうけれど。
— 喜多野土竜【 ⋈ 🌰🎍】💉💉+💉 (@mogura2001) 2020年2月17日
自分らがイメージする天才って逐次処理能力に優れ、絵画や塑像、作曲や詩作、数学や建築に特異な能力を発揮するが……小説や脚本や漫画は書けない。
並列処理の複雑系だからだろうか? https://t.co/p7lBdMQeMd
コレって、サヴァン症候群の天才たちのイメージに近いんだろうけれど。
自分らがイメージする天才って逐次処理能力に優れ、絵画や塑像、作曲や詩作、数学や建築に特異な能力を発揮するが……小説や脚本や漫画は書けない。
並列処理の複雑系だからだろうか?絵が上手くなるのって映像研観てても思うけど一般人からすると『面倒くさい人』に分類されるオタクなんだろうなぁ。
何かに恐ろしく特化してて逆にそれ以外がスッポリ抜けてる人。
限られた時間で時間と等価交換でしか技術も知識も得られないからなにかに特化した人は大抵何処か壊れてる人が多い。アシスタントは現場で体系的に技術を教えられない。難易度がバラバラの作業を日々こなす中で、自然に全体的な技術を身につける。これは野球や麻雀のルールや役を覚えるのに似ている。麻雀の解説書では役の説明で、平和から断么九と説明されることが多いが、実際の場ではその順番に配牌はこない。
生まれて初めて卓を囲んだら小四喜を和了った知人がいるが。漫画のアシスタントも、初日に超高難度の絵を描かざるを得ないことも。その時に必要な技術を師匠は教えてくれるが、それは体系的ではないバラバラの技術。そうやって与えられた技術を、ジグソーパズルのように組み上げる必要がある。
えのきどいちろうさんも、ライターの修行では師匠はダメ出しだけすると語っておられたが。これは師匠に教える技術がないという話とは別に、そういう、バラバラのピースを色や形から配分から自分で無意識に組み上げられる、並列処理のできるタイプでないと難しいからではなかろうかと推測。
えのきどさんの言葉を借りれば、ゴールに至るルートを幾筋も考えていないヤツはダメ、という事になる。師匠は、その幾筋かのルートの中で、悪手だけにダメ出しする。そうすると、それがダメならこのルートとこのルートも似た問題をはらむからダメだろうと類推し、ゴールできるルートが絞られる。
禅に大道無門という言葉がある。悟りに到るのに決まったルートはない、という教え。漫画や小説や映画、エッセイやコラムなども、正解がひとつだけある世界ではないし、その正解に至る解法は無数にある。で、どの解法と正解を選ぶかの組み合わせが、作家の個性と言うことになるのかも。
これが理解できないタイプは、ひとつの正解があり、正解に至る解法もひとつと思い込んでしまう。教育学の専門家によると、発達障害の人間を教えるときに、このルートという考え方が重要になるとか。A地点からB地点に行くルートはいくつもあるが、発達障害の人はひとつしか認識できないことが多い。
「こういうルートもあるけど、こっちのルートもあるよ」と言われた瞬間に、混乱してしまう。発達障害ではなくても、A地点からB地点に行くには最短距離のルートが絶対に正しいと思い込んでしまうタイプもいる。「急がば回れ」という諺があるのに、最短距離でも別の問題がある場合を想定できない。
最短距離でも、間に橋のない川が7メートルあったら、泳ぐ能力か7メートル以上ジャンプする跳躍力がないとダメ。どっちもないなら、橋のある迂回ルートや別の方法を検討するのが常道。逆に言えば、発達障害やその境界タイプには、先ずは当人が理解できるルートをひとつ、構築することが大事。
発達障害やその境界タイプは、複数のルートを適宜選択することはできないが、ひとつのルートの道幅を広く堅牢にすることは得意。「それって職人気質に似てますね」と連想できた人は、作家の資質があるタイプ。方法論が確立された分野では、修練と洗練で高める職人の世界、クラシックになる。
そういう意味では、ホリエモンが10年修行する寿司職人の世界を馬鹿にしてしまうのも、理解できなくはない。ホリエモンはいくつもルートに気づけるタイプなので、ほかの攻略法があるじゃんと思ってしまう。ただ、修練と洗練で至る職人技への無知と無理解がある。一生修行する技術もある。
立川談志師匠が、落語の稽古について語っておられたが。ある程度の基礎ができてる弟子には、師匠は重要なポイントとかだけ演じて見せて、軽く流して教えるが、昭和の名人の八代目桂文楽は高座で演じるままの形で全部を演じて、稽古を付けてくれたそうで。ある意味、不器用だと評していた。
ウチの講座では、そういう点を踏まえて、先ずは一本のルートを通すことに主眼を置いている。そうしないと、発達障害タイプやその境界タイプは、混乱してついてこれなくなることが多いので。その上で、ルートの数を増やすタイプと、ルートを太くするタイプに適したメソッドを工夫している。
漫画家は普通、いくつもルートを想定できるタイプの人間を相手にしてる。アシスタントに入るのは、もすぐデビューや既にデビューした新人が多く、その時点で幾多の投稿者の中から選抜された、地力が高いタイプが多い(まったく経験がないタイプを面接で選ぶ作家もいる)。
なので「喜多野が何を教えてるか知らんが、俺は何人もアシスタントをデビューさせてるから教えるのは上手いぜ」と陰口を言ってる人は、「定規を使って右から左に線を引いてください」と言われて、フリーハンドで上から下に線を引くタイプに教えないといけない状況を想定していない。
背景高座に関しては、最終講義に全員が出席なんてことも珍しくないけれど、うちは単ルートタイプも複数ルートタイプも教えるメソッドがある程度は工夫されてるので、そういう状況が生まれる。だが逆に、作話講座は一定の脱落者が出る。絵を描くことと、物語を構築するのは適性がないと難しい。
絵画や彫刻の天才と作話の天才は、このように内実がかなり違う。後者はもうちょっと、常識の積み重ねの上に、突飛な発想や連想が必要な感じで、才能の質が違うと思う。芸術とか創造という部分で、一括りにされがちだけれど。