「萌え」と「男の子リブ」

 やっぱり男の子が可愛いものを愛好すること自体が、それまではNGだったことが大きい。


 「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」は言わばそうした「男の子リブ」としての「萌え」をぶち上げるフリをした。しかし何としたこと、自分たちのママがそれを許してくれるはずがないことを、うっかり失念していた。


 最初の第一歩が間違っているにもかかわらず利権のルートができすぎちゃった製で四苦八苦しつつ、その辺の貧困層女性に「フェミ」というステッカーを張り、集団でボコっている、というのが今の彼ら彼女ら、及び坂爪真吾師匠。


 ちなみに、この「男の子リブ」という(壮絶にダサい)言葉は、橋本治師匠の小論のタイトルからいただきました。今思えば、まさに橋本師匠こそ「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」の先駆けと言ってもいいような御仁だ。

 正直、「萌え」は未だによくわからないままなのだが、そんなものはもうどんどん勝手にわかることにして久しいので勝手に言い放つならば、対象が何であれそれを介してココロの裡にうっかりと生起してしまう「好ましい」という感覚、それこそかつての「いとおかし」にも通じるかも知れないような、そしてもちろん当世おにゃのこ語彙の「かわいい」にも下支えされているような、しかし確かにそこには何らかの性的な、オトコノコならば勃起するちんちんに流れ込んでゆく血流のような何ものか、が宿っている、まあそんな感じなのではないか、と。

 それは極めてパーソナルなもので個人的で、その意味で決して一般的なものではない、という前向きなあきらめが前提になっているらしい。その限りでは「自分だけがわかっている」にも親和性は高い。