社会的な規範の〈それ以外〉の手慰み

 このNOTEは、Twitterその他のweb環境で遭遇したさまざまな断片を足場に雑感や、あるいはそれら断片たち自体を民俗資料的に残しておくメモあるいは備忘録的な意味あいで運用していて、それは多くの場合、リアルタイムな記録としてでなく、ドラフトとして下書きにストックしておいて、時間を置いて言わば「寝かせておく」過程を経過して後、適宜改めてそこから加筆するなり、あるいは新たな展開を加えるなりして、正規にアップしてゆく、という形をとっている。

 だから、そのような引用的な部分が含まれている場合、その引用自体のタイムスタンプに沿っているが、そこから派生的に展開されている雑感なり考察なりは、その日時よりずっと後に記されたものであることが多い。

 そんなわけで、それら「寝かせておく」ことをした後、改めてアップする作業をしてゆく中で、当初ストックしてあったその断片を改めて時間を置いた後に「読む」ことにるわけで、そこでまた新たな発見なり発想なりが生まれてくることも少なくない。

 これもその一例として。2021年3月23日付けのエントリー *1 の中に引用される形になっていた3月15日づけの断片。

イスラム諸国とかで女性のオタク活動が認められてるのを想起した。家庭に収まる障害にならない手慰みはどーでもいいのでスルー(手芸みたいな扱い)

 女性が「家庭に収まる障害にならない手慰み」であれば、社会的な規範の〈それ以外〉として事実上放置される、つまり「ほったらかしてもらえる」ということは、たとえばそれが子どもであっても同じことになり得るわけで、いわゆる「遊び」に類する文化的な事象の領域というのもそのような意味で〈おんな・こども〉というくくりに紐付けられることで、社会的な規範が波及し宰領する領域と認められないことで、そのような「自由」を獲得していたということになる。