社員のアルバムがあった頃

https://twitter.com/mask_okina/status/1298205128353226752
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 そもそも、仕事中に社員たちの写真を撮って、それを綺麗にアルバムにまとめていることがもはや今となっては考えられない。現像された写真を切り抜いたり、コメントをつけていたりするのもいかにも当時の文化だと感じた。


 何もかもに余裕があって、色んなことが許されていたんだなと羨ましくなった。


 写真には今では信じられない光景がたくさん写っていて、特に驚いたのは店内で社員が普通に煙草を吸っていたこと。屋内で店頭で仕事中なのに平然としていて、そんな時代もあったんだなと。


 正月は女性社員は和服姿で、みんな仕事をしながら酒を飲み、寿司を食っていたそうな。異世界にしか見えない。


 そこでふと感じたのは、このあたりの世代は当時のこの空気を経験していたはずなのに、今では店頭で社員が水を飲むことにすら激高したりする。なんだかなあ、と思ったり。


 90年代半ばまでは、社員旅行で海外にも行っていたようだ。今は連休すら取れない人ばかりなのに、この差は一体何だろう。


 一人が休むだけで今は店には大打撃だ。仕事が回らない。だから誰もが長期休暇なんて取れない。


 でも当時は社員の半数近くが一斉に休み、数日旅行に行って、楽しくバカンスを過ごしていた。


 どうして今、社会全体がこんな感じになってしまったものかな、と自分が知らない社会の姿に不思議な気持ち。


 景気が悪くなればそのぶん人の心も貧しくなるものだろう、というのは頭では理解できるけど、しかし20~30年でここまで社会は変わってしまうものなんだなって感覚が追いつかない。本当に別の世界の出来事のように思える。


 当時がおかしかった(バブルという特殊な景気だし)のか、今がおかしいのか、ぼくにはわからん。でも、確かに当時を生きていた人たちの顔は、とても明るくて楽しそうだったなって思うのだ。


 今のほうが便利なことは多いけど、どうしてこんなに息苦しいものかしらね、というのはただの僻みかしら。


 そうそう、当時は社員全員の顔とプロフィールをまとめた冊子が毎年出ていたらしい。新入社員がたくさん入って来ていた頃。今よりも遥かに社員が多いのに、一人ひとりの名前、あだ名、趣味、そんなものが楽しげに書かれていた。


 社員ひとりひとりが、一人の人間、仲間として扱われていたんだな、って。


 ぼくは採用されてすぐ現場に放り出された。何も教えられる暇もなく、ただいきなり行ってこいと広々としたフロアに立たされた。


 こいつが新人です、なんて紹介もされなかった。ただの「人手」でしかなかった。当然、社員たちをまとめた冊子なんかもない。


 どうして同じ会社がこうも変わったんだろうね。


 同じ扱いをしてほしかったか、同じ経験をしたかったか、と言われたらもちろんどうだろうなあとは思うものの、しかし今と比べて余裕ってのが違いすぎるよなあとは感じるのだわ。やっぱり。


 だからぼくは、当時の人間になりたかったかといえば、そうじゃない。働く時代を選べるなら、きっとなんだかんだ今を選ぶ。だって当時は何もかもがおおらか……というより、緩すぎるし、無自覚な抑圧が多すぎる。


 それでも、今は手に入らない、目にできない何かを少し羨んだりもするのよね。

*1:例によって元のtweetはアカウントごとなくなっている。こういう事態、すでに静かに起こっているし、これからもweb媒体の本質としても起こり続けることではあるのだろうな、と(´-ω-`)……210704