敗戦なき戦後サブカルチュアの世界線

 もし日本が戦勝していたら彼の父は帝国空軍(が出来ると思われるが)あるいは民間航空の飛行士として充実した人生だったろうし、その下で不自由なく育った松本少年があの「キャプテンハーロック」や「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」の美学を生み出したかは甚だ疑問だ。


 ちばてつやは、満洲から引き揚げなくとも漫画に興味を持ってそうだなと思うのだけど、大陸経験が6歳に留まらず続いたことでの彼の人生観の変容や、戦勝国として描く「紫電改のタカ」がどうなったかとか、梶原一騎と出会って「あしたのジョー」は生まれたのだろうかとか、その辺は気になる。


 梶原一騎はどうやら戦争がなくともあんな感じっぽいので、「巨人の星」も「あしたのジョー」も原作自体は高確率で生まれただろうけど、ジョーを描くのが我々の知る「ちばてつや」だったかは疑問符がつきそう。


 日本が勝っていたら60年代の学生運動はあれほど隆興しなかっただろうけど、弘前全共闘の闘士として夢破れてアニメの世界に入った安彦良和や、日大の当局側自治会の中枢にいて体制権力を知った富野由悠季、高校時代に運動に熱中した押井守は、それぞれああいうクリエーターにはなり得なかっただろう。


 宮崎駿は、戦闘機産業の下請け工場のボンボンで、負けてもあの調子なんだから、勝った日にゃもっとバリバリ戦闘機を描くアニメを作りそうだけど、それでも「紅の豚」や「風立ちぬ」のある種の屈折は失われる気がする。単なる航空冒険大活劇に留まるのではないか。


 映画産業は、ゴジラについては別の方の言及があるから述べないとして、東宝東宝争議が起こらなかったら黒澤明とか山本薩夫とかの人生も大分変わったのではと思うけど、アメリカの赤狩りみたいなことが起きて結局似たような流れになってそして衰退しそう。


 勝ったところで、米映画資本を邦画資本が駆逐するのは無理だろうから、良くて東宝東映大映がワーナーやら21世紀フォックスやらを政治力で傘下に収めるくらいなのでは。そして日米共に停滞するか、じきに親子逆転現象が起きるか。


 戦後日本のサブカルチャーは、敗戦の屈辱にまみれながらもアメコミやディズニーに夢中になった手塚治虫以下の漫画家たちの原体験、そして60年代学生運動という第二の敗戦を経験した若いクリエーターをアニメ産業が吸収したことが、負けの美学を強く滲ませるようになったとも言える。


 言及しそびれていた、戦後サブカルチャーのもう一つの潮流「特撮」も、原点の「ゴジラ」が敗戦と米の水爆実験の産物である以上生まれ得ないことと、日本的なヒーロー像を生み出した川内康範が戦勝世界で特撮やるのか(バリバリ民族派だからそっち来たのかどうか)という点が読めない。


 敗戦と学生運動挫折による負けの美学が全く(とまで言わずともほとんど)ない、「戦勝国大日本帝国」の漫画やアニメや特撮は、果たして我々の知る、今これほどまでに世界に受容される普遍性を持ち得たかというと、僕は極めてネガティブ。敗戦を抱きしめてこそ生まれた財産なのではないかと考える。