書店で『ウルトラマンの「正義」とは何か』をさらっと立ち読みしてみた。立ち読み程度で感想を書いたりするのは気が引けるが…感想以外にもちょっと思い出した事なんかもあるのでその辺も含めて書きだしてみる。
— 神保町刑事 (@jinbochodeka) 2021年6月19日
著者の花岡氏は丁寧に調べたりインタビューなんかもしてる様だけど、やはり大前提が間違ってるので結局は全部上滑りしてるような感じ。例えばこれから「大江」の文字を「切通」に訂正したとしても意味が大筋において合わなくなるというか…これもう正しくならないでしょ?
氏より早くに生まれただけでの先行者気取りな嫌な言い方になるが、「発掘現場で掘り出されたものを日干して並べてる所に通りがかった人がそれっぽく薀蓄を語りだした」様な感じも持った。掘り出した人達はここにそれが埋まってるかどうかも確証ないところから始めたのに。
私もうろ覚え・カン違いは多いし(特に最近は)、ぶっちゃけ知ったかぶりをする事も多々ある(特に美女の前では)。…でも博論とか出版とかって話になったら流石にそこは細心の注意を払うんじゃないか? これ、誤植なんてレベルの話じゃないんだぜ。
私が仕事でシステムを真逆に構築したあげくに実は仕様書を全く読んでませんでしたなんて事がバレたら、クビで済めばまだいいけど訴訟を起こされて事件として新聞に載っちゃうよ。それをやれる職業倫理ってのが全く理解できないんだけど物書きってのはそんな楽な仕事なのかね?
70年生まれとして言っておくと昭和の時代にウルトラシリーズを評価してる大人なんてのは特撮マニアぐらいで、文化人はウルトラを槍玉に挙げる事はあっても評価するなんて事はほぼありえなかった。金城哲夫や上原正三という名前だってよっぽど好きじゃなきゃ知らなかった筈だよ。
インターネットなんて無いからよほどの熱意が無ければ知らない人の事なんか一々調べないし文献の存在自体わからない。(“検索”という言葉自体昭和の頃は使った事なかったぞ)、レンタルビデオだってそんなに普及してないからそもそも作品自体を観られる機会があまりなかった。
大江健三郎の『破壊者ウルトラマン』は作品についての批評ではなく、当時のPTAのカーチャン達のウルトラマンに対する糾弾の総意を大江らしく賢く纏めて皮肉も込めた代理声明文である、というのが私がそれに抱いている印象と評価だ。それが正しいかどうかは一旦置いておく。
子供の頃、両親により「ウルトラマンは暴力的だ云々」の理由で私の私有財産であり大切な宝物であった怪獣図鑑や怪獣カード・ソフビ人形等の全てが勝手に処分された。彼らが未だ気付いてないであろうその暴力行為は何十年と過ぎた今でも私を苦しめている。
切通理作による大江批判はそんなウチの親どもに読ませたいと思った胸のすく様なカウンターパンチだった。私がかつて特撮ヒーローの中で一番ウルトラシリーズが好きだったのはつまりはこういう事だと。それをやっと言語化してくれる人が現れたと。
仮にウチの親が今になって「庵野秀明って人、凄いじゃないか。お前も見習え」みたいな事を言い出したとしたら(ホントに言いそう)怒りで脳の血管がブチ切れると思うんだけど、切通の功績を大江の功績として塗り替える行為ってのは正にそんな話なんだよ。
……そしてここからが重要なんだけど、これはいつかきちんと書こうと思ったまま何年も上手く纏まらずに放って置いたちょっと脇道に逸れた話だ。
昭和の終わりに成熟したオタク文化は(オタクって言葉をあまり使わなかったが)在った。平成の終わりにも在った。令和の初めにも在るだろう。
だが、平成の初めの数年間だけはそれがプツッと消えたのだ。
連続幼女殺人事件があったからだ。
それまでアニメや特撮の話しかしなかった古い友人はその話題を口にする事は一切無くなった。あの頃、自分の事をオタクと称したりアニメや特撮が好きだと言うヤツは入ったばかりの大学キャンパス内で少なくとも私の周りには一人も居なかった。
友人曰く、愛車が犯人の犯行時に使われた車種と同じだったゆえに慌てて買い換えたと。
「だってあの車じゃオンナを誘ってももう誰も乗ってくんねぇじゃん」*2
確か翌年には車種自体が消えたんじゃなかったかな。そのぐらいの忌まわしい衝撃だった。そういう時代だったのだ。
私は86年からその時までで観て面白かったアニメなんてせいぜいジブリとパトレイバーぐらいで、読んでたアニメ雑誌も休刊し、オタクやアニメファンを名乗ることなんかもうとっくに無かったのだが、何か名乗らない事に後ろめたさみたいな物はずっとあった。「人種」的にはやはりそっち側だし。
「中学の時、『クリィミーマミ』が好きだった」という話を女性に振ると今なら(今だに)どの年齢層の女性にもウケが良いけど、大学三年の時のゼミの呑み会でぽろっとそれを言った時の周りの女の子達の凍りついた表情は今も忘れられない。
……そしてこの話で更に恐ろしいのは92~93年頃には「オタクが消えた時代」そのものがきれいさっぱり消えてしまった事だ。オタクだった筈のヤツが突然オタクを嘲笑い忌避したのに、またある日突然何事も無かったかのようにアニメや特撮について語りだしたのだ。
そして時代はあれから随分と過ぎたが、周囲の人達は未だにあの数年間について口にすることはない。
SNSのプロフィールに「オタク」と書いてる人、あなたはあの数年間の間も周囲にそう名乗っていただろうか?
切通理作の『ウルトラマンと在日朝鮮人』はオタクが消えた時代に書かれ、『怪獣使いと少年』はオタクが消えた時代それ自体が消えた時に出版された。そのことを、そのときの空気をずっと忘れない様、心に留めている。