立花隆「知の巨人」への違和感・メモ

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立花隆にはいくつかネット関連の本がある。

基本的によくある「誰でも好きなことを発信できるのがすごい!」みたいなのだったけれど。

皮肉なことにネットによって立花隆みたいな「いっぱい本を読んでいるすごい評論家」みたいな人のプレゼンスは下がった。

調べたら出てくることにいくら詳しくても、それですごい人扱いされる空気はなくなった。

同じように価値が暴落した人に唐沢俊一松岡正剛がいる。

彼らはいくら物知りでも、しょせんは二次情報の寄せ集めでしかないんだよね。

本だけの時代ならそれだけでも価値が出せたけど、ネット時代には無理。

立花隆を「知の巨人」扱いしている人も、ここ10年は全く見なかった。

だって、分野ごとに一次情報を持っている人が、自ら発信する時代だからね。

立花隆みたいなのはいくら情報を持ってようと、全部二次情報だから。

ラジオスターの悲劇みたいなものだろうか。

king-biscuit.hatenablog.com

 けれども、そんな状況的な要素とは別に、彼自身の書き手としての資質はまた違ったところにあったらしい。


 たとえば、一人称で「書く」ことについてのありがちな責任感とか、それに伴うプレッシャーや葛藤、そういったものとは、彼はどうやらあまり縁がない。どんな状況でも原稿をすらすらと書ける、ということは早い時期から自慢していますが、それが自慢特有のいやらしさをさして感じないくらいに、ああ、確かにそれはそうなんだろうな、と納得させられるところがある。「書く」ことは彼にとってはそんなに体重かけるべき作業でもないらしい。そういう意味では、理科系の研究者などの「書く」ことに対する身構え方に近いものがあります。


 逆に、「書く」以前の作業、「読む」ことについて最大の熱意を傾ける性癖が強い。取材だけしていて書かなくていいのだったらこんな楽しいことはない、とまで言っています。しかし、その「取材」というのは、しかし、昨今のフィールドワーク幻想などにも連なるジャーナリズムにとりついた宿痾、あの「現場」至上主義のもの言いからはかなり遠い響きがまたある。


 おのが好奇心の赴くままに調べものをし、資料を探し、必要ならばその道の専門家にレクチュアを受ける。旅にも出る。あらゆるたぐいの誤謬発生のリスクをおかしながら、ジャーナリストはただ自分の信ずるところにしたがって、歴史の原資料づくりをつづけなければならない。そんな「同時代と歴史のジャンクション」となるべき仕事を積み上げてゆくことに加担する、とはっきり言明したこの時の彼は、ウッドワードやハルバースタムといったアメリカの当時一線級の現役ジャーナリストたち(この人選が誰によって、どのようになされたのかは、また別の意味で深く興味がありますが)に話を聞くことで、初めて自分を自分で納得ゆくような形で肯定することができ、自分のやってきた仕事が同時代のジャーナリズムという枠組みの中で位置づけられた喜びを表明しています。それが「アメリカ」という、彼の世代にとっては抜きがたく存在していたはずの「権威」によって認証されたという現実は避けられないにせよ、彼のその喜びは嘘偽りのないものだったはずです。後に臨死体験を扱う場合などで、専門家たちに対するインタビューをテキストとして示しながら、それをもとに再解釈を積み重ねてゆくような手法が一般化してゆきますが、このあたりがその手法に自覚的に行き当たった初めだったのかも知れません。


 けれども、そのようにいくら現場を踏んでも、取材を積み重ねても、山ほどの資料を渉猟し多くの人にあって話を聞いたとしても、当の立花隆の内面はおそらくそれほど揺らぎはしないでしょう。


 いや、もちろん生身の人間のこと、あたりまえの動揺や葛藤はあるとしても、少なくともそれが立花隆という「自分」を、その実存を根本から揺るがしてしまうようなことにはまずならないし、だからこそ、そのような「自分」を前提にして「書く」という作業にまで響いてくるような揺らぎ方もしない、と。万一、したとしても絶対にそれを表に出さない、そんなある意味では磐石の、違う言い方をすればできあがってしまって動きようのない「個」の気配。


 これも誤解のないように言っておきますが、決して悪い意味でだけ言っているのでもない。どんな対象に接してもうっかりとカンドーしたりココロ動かしたりしない、もう少しいえば、その対象との関係において共鳴したりはしない、したとしてもあくまでも自分の内面、おのれの「個」の間尺においてのみであって、その範囲でだけその揺らがされたことをひとり粛々と処理してゆく、そんな安定度抜群な主体制御装置があらかじめ備わっている。だからこそ、ともすればうっかりベタベタに対象についてしまい、対象よりもとっとと先に自分の方がグスグズになってしまうようなその後のジャーナリズムのある部分にとりついたビョーキから、立花隆は距離を置いていられたということなのだと思います。


 対象は対象として客体化して見る、それこそひと昔前の自然科学の教科書そのまま、「客観的」に見ることに忠実に「見る」主体を作り上げてしまった、しかし本質的には純粋好奇心全開の文科系もの書き、それが立花隆なのだ、と。


 自分の体験、自分の見聞、ということをいきなり無上に大切なものなどとは決してとも思っていない。それは「自分」という存在自体、そんなに無前提に肯定されるべきものだとも思っていないからでしょうが、でも、「ワタシ」をまず肯定することから現実に向かい合うことのできない性癖を持っていたニッポンの「文学」の保守本流からすれば、この乾き具合はやはり異質です。


 そう、立花隆という人は、ニッポンのもの書きのかなりの部分が逃れられなかった「文学」幻想から縁遠い、そんな資質の持ち主のようなのです。どんな対象と取り組むにしても決して自分ごとにしない、自分という生身に引き寄せて対象を考える回路はひとまず切っておく、と。だから、私小説出自の「ワタシ」語りの呪縛のキツい、クラ~いニッポンの「文学」に足とられたりもしない。それが証拠に彼の書いたものの中に固有名詞として出てくる作家は、たとえばバルザックであり、トルストイであり、いずれとにかく堂々たる古典的「教養」主義の西欧のビッグネームがほとんど。間違いなく状況のまっただ中に身を置いていながら、ギリギリ自分の「個」の輪郭だけは絶対に揺らがない、そんな強靱で始末におえない自意識の持ち主であります。


 けれども、それこそがまさに、活字の読み/書きによってつくりあげられる「インテリ」の、ある典型的な形だったのでしょう。勤めていた文春をひょいと辞めようが、東大に学士入学しようが、ゴールデン街で小さな呑み屋をやろうが、女性週刊誌編集部でアンカーとして梨本勝その他の学生あがりのデータマンたちをうまく使いこなそうが、とにかくどういう境遇、どんな身過ぎ世過ぎをしていようとも、自分はそのように世界と関わらざるを得ない人間である、という自覚だけは決して手放すことはない。


 立花隆を「伝説」にしてゆくことになったもう一本の柱である「科学」も、そのような「個」であることの上にかけられてこそ、魔法めいた働きを示すことになります。


 「宇宙」であり「脳死」であり、取り込まれるべきもの言いは何でも構わないはずですが、いずれそういうどこか超越的な存在に対する好奇心が、価値中立的でイデオロギーフリーなイメージと共にもてはやされることによって、立花隆という固有名詞にはいつしか「ザ・知性」といった印象さえまつわるようになってゆきました。「知の巨人」というあのおおげさなキャッチコピーにしても、角栄批判やそれ以降のリクルート批判などの政治・経済系の仕事をやっているだけでは、おそらく奉られることはなかったはずです。「科学」の分野、もう少しくだいて言えば「理科系」の領域に果敢に突っ込んでいったからこそ、それらからどこか疎外感を抱いていた「文科系」がデフォルトなメディアの舞台での見られ方に、より一層のターボがかかった、と。


 立花自身の事情を考えてみても、「活字」を前提にあたりまえのように作られていた「インテリ」という自意識の揺るぎなさと、この「科学」という魔法とはなじみやすいものだったようです。とりわけ、「戦後」の言語空間においてそれは「民主主義」や「進歩」などとも手に手をとって無条件にプラスの意味を持たされるようになったもの言いでもある。もちろん、インテリ固有の事情からすれば、大正末期このかたたっぷりと刷り込まれてきた「マルクス主義」文脈での「科学」という無謬性の権化もそこには癒着、介在してきますから、補強材としてはさらに強力です。


 さらにそれらの外側で、コンピュータに代表されるような電子情報機器の急速な普及と浸透による情報環境の激変によって、それまで「活字」を軸に構築されてきていたはずの「教養」の体系そのものが崩れてもゆきました。八〇年代に起こった価値相対主義の高揚というのは、そのような既存の「教養」体系の崩壊に伴って引き起こされた価値観の大変動のひとつの現われでした。それがココロの問題にとどまらず、現実の制度の側にまで実際に反映されてゆくのはさらに少し後、九〇年代に入ってのことで、その間、バブルの崩壊といった下部構造の要因もちろんからんでいたとは言え、ここ十年ほどで積極的に進められた大学での教養課程解体などは、むしろ情報環境の激変によって引き起こされた価値観の変動が、それまである程度の自立性と閉鎖性を保証されていた「知」のインフラである大学にまでようやく波及してきた、という流れで解釈した方がすんなり納得できるようなものです。東大での「教養」ゼミを担当し、そこでの体験をもとに『東大生は馬鹿になったか』という本を彼が書くようになっているのも、彼のような古典的活字オリエンテッドリテラシーによって織り上げられた「個」が、いまどきの情報環境の激変にどんどん同調していった果ての、言わば必然のようなものです。


 「知識」が「教養」の方向にあらかじめ約束されて構築されることのなくなった状況で、全てが等価な「情報」として大容量に蓄積されるばかりになった。貼り込むべき台紙(=「教養」という枠組み)のなくなった中でブルーチップスタンプ(=断片としての知識)をためこむ速度だけがどんどん加速されてゆく、という言い方がわかりやすいでしょう。そんな本来ある文脈を喪失させられた分、一気に膨大なものと化した「情報」の海を自由自在に、しかも力強く渡り歩く司祭として、今や立花隆は語られるようになりました。「知の巨人」とは、ほどいて言えば実にそういうことです。


 なにせ、もとから活字読みとしての体力・腕力は一級品。一日十時間(こういう数字の語られ方もまた「伝説」特有です)と言われる読書量、徹底的な「調査」とそれによる「資料」の収集。閉塞した書庫でじっと資料を漁り続けるその姿は、それこそ新たな情報環境を象徴するメディアとなった観さえあったインターネットとも、ごく自然になじめるような感覚を育むものだったに違いありません。とうとう、インターネットは神である、とまで口走り、ビル・ゲイツに対しては得意のインタビュー手法も空回りして無残にすれ違う始末。


 この時期、「臨死体験」を扱い、インターネットにいれあげるようになってから急にヘンになった、という意見が、活字読みの間の立花評価には結構あります。トンデモ入ってるじゃん、というミもフタもない、しかし直感的にはおおむね正しいコメントなども、ちらりほらりとささやかれるようになってきている。さすがにまだ表立って語られてはいませんが、でも、そういう意味では、確かに「伝説」はその寿命をひとわたり終え始めているんだなあ、と思うところがあります。


 ただ、これは擁護じゃなく聞いて欲しいのですが、おそらくこれって、立花自身がヘンになった、というよりも、むしろ、そのヘンであることがそれまでよりもはっきりと誰もの眼にバレるようになってきた、と言うべきなのではないでしょうか。


 ヘンかヘンじゃないか、ということで言えば、立花隆は初手からヘン、なのです。で、ここもあわててつけ加えなければならないのですが、それは活字の読み書きによって作り上げられた「個」というものが、世の大方にとって本質的にヘンである、というのと、おそらく同じことです。問題は、そのヘンがうまく世の役に立つようにセッティングされ、活用されてゆくような環境がどうやらそれまでとは変わってきてしまった、そのことがまだうまく言葉にされていないことです。