英国初期近代の文芸から・メモ

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 そしてそんな時代の文芸では、例えばいい作品があれば手持ちのノートに写して控えたり、その控えたノートをほかの人に見せて広めたり、代書屋にきれいに清書してもらって大切にしたりするんですが、結局は今twitterfacebookでいいねしたりふぁぼしたりスクショしたりしているのと一緒なんですね……


 そしてシェアしたりリツイートしたり。そしてこの控えのノートは、有名人のサインをもらったり、出かけた場所の風景画をスケッチしたり、つれづれと考えたことを整理したりすることにも使うので、それこそ持ち運べるひとりひとりの個人帳みたいなもので、タブレットスマホと変わらないんですよね。


 もちろん自分の作品もそこに書くんですが散逸することもあるわけで。ただ後世の私たちは、印刷された本に残ってない作品、自筆の原稿が現存しない作品でも、こういう手書きの控え帳を探ることで発見できて、要は誰かがリツイートした先のスクショから失われた詩を見つけることがあるわけでしてね……


 なお手書きの原稿にも保存用と回覧用があったりして、回覧用の原稿を読んだひとが「面白かったから感想を詩に書いて送るね!」と返答したりするんですが、紙の本になるとき「みんながあまりに褒めるので恥ずかしいけれど本にしました」という言い訳としてそれらの詩は本に同梱されます。

 見知らぬ分野、門外漢の領域の知見をうっかり教えてもらうことができて、そしてそれがこれまたうっかりと示唆に富むものだったりすることも珍しくないTwitter世間の「社交」のありよう。こういう「歴史」の相に遭遇できることで、自分の持ち場や守備範囲での問いの見え方にも大きく影響してくることも、また。

 本にすることがみっともないことである、という感覚の示すものの奥深さ。文字は文字としての居場所を明確に与えられるべきものであり、それはある時期以降あたりまえのようにそうなっていったような傲岸不遜、それこそ「近代」の普遍をまるごと体現しているかのようなたたずまいはまだ獲得させてもらっていなかったらしいこと。

 逆に、話しことばでカバーできる範囲こそがcommunityであり、それを確かな共同の間尺として立ち上げ維持してゆく交通のありようがcommunicationであるらしいこと。話しことばの共同性を不断に継続的に維持してゆく/ゆけるだけの生身の存在にこそ「主体」もまた宿ってゆくらしいこと。それらの情報環境のなりたちの遠近法と共に、文字も居場所を整えてきていたわけだし、またその先に活字と、印刷技術を介した本という飛び道具もまたあるべき場所を与えられていたらしいこと。そして、それらの秩序、約束ごとがあって初めて「現実」は確かにゆるぎなさげなものとして認知されていたのだろうこと。

 ああ、これはまたもや例によってとしか言いようがないのだけれども、柳田國男俳諧連歌を民俗資料として、それらを記録として残していた「関係」や「場」のありようも含めて解釈し、読んでゆこうとしていたことの意味は、我こそは民俗学者と自認する人がたの共同体の裡がわではほとんどまともに考察の対象になってきていなかったし、それはいまでも基本的に変わっていないらしい。「近代」に魔法をかけられ、その本性としての普遍を背負わされることになっていった文字の、そしてその先に姿を現わしていった活字の禍々しさが話しことばの共同性の側からはほぼ始末に負えないものになってしまう以前の、話しことばと書きことば、文字や活字との間にギリギリ引かれていたある一線が、それ以降の情報環境を生きる人がたの意識の眼からはもう見えなくなっていったらしいことも含めて。あるいはまた、折口信夫一派の「旅」の「ノート」というのが連歌の記録のような「うた」の連なりとして記述されるようなものであったらしいこともまた、ここで示されているようなイギリス初期近代文芸をとりまく「文学の宿る初発の関係と場」とそこに宿っていた当時のあたりまえともどこか親しいものとして、これまでと少し違う解釈を要求し始めてきたりもする。

 話しことばの、おしゃべりの共同性の再構築と復権とが、おそらく日々生きる逃げられない「関係」や「場」の出発点であり、そこからしか確かな〈リアル〉を紡ぎ出してゆくことのできない踏ん張りどころになる。文字や活字、あるいは昨今のことゆえそれ以外の画像映像音声その他、デジタイズされて一律「情報」として「処理」され得るようなものになってしまった「記録」の構築する現実はすべて、それら踏ん張りどころにとっての〈それ以外〉でしかない。そして、もちろんそれら話しことばやおしゃべりは、生身の発声、声帯を駆動しての身体まるごとの表現として初めて〈いま・ここ〉に姿を現わすものである、ということ。

 

*1:TLが耳学問的な「社交」の場であること、なども含めての示唆的なメモとして。