口と舌、しゃべること、の老化について

 老化というのは理屈でも能書きでもなく、ミもフタもなくわれとわが身、この生身のカラダの個別具体として日々、思い知らされてゆくものだということは、もう40代の終わりくらい、50代にさしかかる頃には一応、わかるようにはなってきていた――つもりではあった。

 しかしながら、である。その「わかる」にもまた、年々歳々また別のあや、それぞれの翳りみたいなものが加わってゆくものだということは、一歩一歩日々の歩みを加えてゆくにつれて、折々に実感として、まさに身にしみてくるものだった。

 俗に「歯、眼、マラ」などと言う。貝原益軒だか何だか、もともとどこの誰が言い始めたことなのか知らないけれども、なるほど確かに「眼」がまず悪くなる。左右非対称のかなりひどい近眼と乱視の併せ技で、メガネは手放せない身の上だった分、いわゆる老眼になるのは人よりだいぶ遅かったと思うが、しかしその近眼と乱視とがどんどん進んでゆき、メガネのレンズを合わせて取り替えてゆくのもそれなりの習い性になった。「歯」もまた、もともと歯性のよろしくないせいもあるのに加えて、歯磨きその他口の中の手入れなどあまり考えたことのなかった時期が長かったせいで、あちこちガタがきて充填だのクラウンだので多数補修工事をやってきていたのが、50代末、還暦の声を聞くあたりについに入れ歯をこさえる羽目にまであいなった。歯医者に叱られながら、あわててオーラルケアなどするようになったけれども時すでに遅く、これ以上補修個所が劣化しないようメンテナンスするのがやっとで、これもまあ、これまでの不養生の自業自得とあきらめながらつきあうしかない。最後の「マラ」はというと……まあ、やめとこう。俗流の川柳だか都々逸だかにうたわれていた一節のごとく、もはや小便だけの道具となりつつあるらしい、ということと、その小便のキレもよろしくなくなり、ああ、どうやら前立腺とか何とかそのへんも医者に診てもらわにゃならんのかなぁ、と嘆息しつつある近況ということだけは記しておく。

 で、そんなことはどうでもいい。言っておきたいことは別にある。そう、同じ身の裡、おのがカラダのことである以上、当然っちゃ当然なんだが、しゃべることもまた、口と舌、顔面の筋肉その他の物理的、肉体的な衰えによって、順調にあやしくなりつつあるらしい、ということなのだ。

 嘘でも大学で教えることが日常生活のルーティンとしてあった間は、ひとコマ90分、それを週に何コマかは否応なしにしゃべらざるを得なかったし、ましてコロナ禍以前のこと、嫌でも口とそのまわりの筋肉を動かすことは意識せずともやっていたことになる。いや、これもそのように気づいたのは割と最近だったりするのだから、偉そうに言えないのだが、何にせよ、その「しゃべる」ということもまた、それを司る生身のカラダの衰え、劣化、老化に伴い、かつてのように無意識考えなしに「できる」ものでもなくなってきているということなのだ。

 そろそろ30歳になるはずの息子は一応、ギター弾きが稼業なのだが、リウマチ系の疾患が別れた嫁の家系にあるらしいこともあって、先行き自分の手指が動かなくなることを今からもう想定して、自分自身が楽器を演奏する以外にも何らかの喰う手立てを音楽まわりで考えて動いているようで、へえ、親に似ずいまどきの若い衆らしい周到さだなぁ、とか感心していたのだが、そんなのあたりまえだよ、病気がなくても歳とったら指なんかどんどん動かなくなるんだし、そうならないように毎日練習してるんだから、と言われて、ごもっとも、楽器じゃなくても声楽その他、歌い手であれ落語家であれ声優であれ、いずれそれらおのが声を商売道具にする人がたでも、カラダの一部の働きとしてのそれら「うたう」や「かたる」を支える生身の維持管理については、それがかけがえのない稼業と思えばこそのメンテナンスを意識しとらすはずで、そう考えてみればこちとら稼業にしても、単に文字の読み書きだけでなく、しゃべり話し語るということについての生身のカラダの劣化や老化については、もっと商売道具として自覚して維持管理をしておかにゃならんはず、といまさらながらに反省したような次第。

 年寄りが口跡が悪くなる、いわゆる滑舌、アーティキュレイションがなめらかでなくなり、モゴモゴ口ごもるような印象の語り口になることは、これまでもいくらでも見聞してきているけれども、そしてあれは入れ歯を使っていてそれが合わなくなっているからなんだろうな、とか何とか、適当な憶測などしていたものだけれども、いざそれが自分ごとになってくると、あれは単に入れ歯どうこう以上に、まずそもそもの口と舌、のどなども含めた筋肉やら何やら、カラダの衰えによる部分が大きいらしい、ということを思い知らされるようになって、ああ、そうか、こういうことか、あのモゴモゴしたしゃべり方になってしまうのは、と、最近の田原総一朗のあのどうにも聞き苦しくジジむさい語り口などを思い起こしながら、申し訳ない、初めてそれが他人ごとではなくなったのであります。*1


 ただ、加えて、これもコロナ禍の一端だろうが、マスクをしていたことでそれまで以上に口とそのまわりの筋肉を動かしてみせる機会が乏しくなっていて、こういう口と舌まわりの劣化、老化に拍車がかかっているところもあるような気もする。まあ、いずれにせよ、かつての芝居の稽古じゃないけれども、口を大きく開け、舌もなるべく存分に使って、口もとから顔面の筋肉も意識的にほぐすように動かしながら、足腰や肩、腰、首まわりなどと同じように、もうこの先不可逆的に進んでゆくしかないこの老化、劣化、衰えの過程とうまくつきあってゆくしかないのだろう。そういう意味でも、3年前、いきなり大学という場から放逐され、心ならずも突然の隠居全裸無職渡世に突入させられたことは、やはりおのが生の道行きに考えていた以上に甚大な影響を、陰に陽に与えてくれていやがるのだな、と思う。

*1: かつて全盛時(おそらく)の朝生では、確かに、あの田原総一朗も世間から見られる昂揚感に鍛えられている表情そのままに、実に青光りしてテラテラしていたものだった。以下、32年前の古証文なれど、当時のあの「場」とそこにうごめいていた「関係」およびその背後のあれこれについての、ある意味民俗資料的な証言として。 king-biscuit.hatenablog.com