■ 不適切入試を学長が告発、理事長は反論
「運営法人側が助成金を得る狙いで不適切な入試を行った」
札幌国際大学の当時学長だった城後豊氏は、二〇二〇年三月三一日に札幌市内、北海道庁の記者クラブで記者会見を開いた。大学を運営する法人が、日本語能力が不十分な学生外国人留学生を多数入学させたと主張したのだ。私立大学の現職学長が大学の法人を告発した、極めて珍しい会見だった。城後氏はこの日をもって学長を退任することが決まっていた。
関係者の話によると、問題が起きたのは次のような経緯だ。大学には二〇一九年度、三九一人が入学した。そのうち留学生は六五人で、前年の三人から大幅に増えていた。ところが、授業を始めてみると、日本語がほとんど理解できない学生がいるなど、日本語能力のレベルに大きなばらつきが見られた。そこで大学が独自に日本語能力の試験を実施したところ、日本語能力試験で大学入学相当とされるN2のレベルに満たない学生が三割から四割を占めたという。
ちょうど同じ頃、二〇一九年三月に東京福祉大学では約一六〇〇人の留学生が所在不明になっていることが判明した。文科省はこの事態を受けて、学部研究生も含め、N2相当の日本語能力があるかどうかを確認するなど、留学生の在籍管理の徹底に関する新たな対応方針を示していた。
これらの事態を受けて理事会も、新たに留学生を大量に導入する方針を決定していた関係から、同様の問題を懸念して、学長である城後氏に留学生の現状を説明するよう求めた。城後氏は、その独自の試験結果などの資料を基に、留学生の現状を二回にわたって理事会に説明した。
すると、理事長の上野八郎氏ら法人側は、そのような調査をしたことについて「聞いていない」と激怒する。さらに、提出された資料は城後氏が外部理事と結託して、法人の体制をひっくり返そうとしている「怪文書」だと断じた。
その後、理事会理事長を中心とした大学法人側では学内に知らせないまま一一月に次期学長選考委員会を設置して、城後氏の退任、事実上の解任と、次期学長を、不透明な手続きによって一方的に決めていた。
城後氏は二〇二〇年一月に学内の全教職員に対し、留学生の受け入れをめぐる問題を説明し、さらに「大学内部で何が起きているのか、是非を含めて第三者に判断してもらう材料を提示するため」と、退任する三月三一日に会見を開いた。これが前述の告発会見だ。会見で城後氏は「定員充足によって定員割れを防がないと助成金が出てこない仕組みになっている」として、法人が不適切な入試を行ってまで留学生を大量に入学させようとしたのは助成金を得ることが目的だったと指摘した。また、「全員受かるようにしろ」と指示されたことも明かした。
これに対して法人側は、理事長の上野氏らが城後氏と同じ日に会見を開く。二〇一九年四月時点でN2相当に満たない学生がいたことは認めたものの、「補習などで授業についてこられるようになった」と主張した。
上野氏は「うちの大学が国際化する上では外国人留学生が必要不可欠」として、厳正な入試で基準を満たした学生を留学させていると反論し、学長が告発した内容を否定している。一方、このような学内での動きとは別に、三月には文科省が法人側と教学側の双方から事情聴取を行ったほか、出入国在留管理庁も別途、調査を進めていた。
■ 記者会見に同席していた教授を懲戒解雇
会見の日を最後に、城後氏は退任した。しかし、問題は解決したとは言えず、学内の教員の間には、留学生の受け入れ問題をめぐる懸念や大学側への不信感は依然くすぶっていた。
すると、ある教員に、突然火の粉がふりかかる。人文学部教授で、民俗学を専門としながらマンガなどのサブカルチャーや競馬論についての著書もあり、メディアに登場することも多い大月隆寛氏だ。
大月氏は二〇二〇年四月、来年度の学部や学科のパンフレットの制作に取りかかっていた。すると、新たに学長に就任した蔵満保幸氏から差し替えの命令がきた。大月氏が当時のことを振り返る。
「ゲラの校正の段階まで来ての突然の差し替え命令の理由を聞くと、学長は『言えない』としか言いませんでした。なぜ言えないのかと聞くと、『大月先生の個人情報にかかわるから』と答えました。この時点で、自分を追い出そうとしているのではないかと、うすうすは感じましたね」
五月に入ると、大月氏に対する懲罰委員会が立ち上がる。大月氏は「悪いことをした覚えがない」として出席を拒否すると、検討するという懲罰の内容も理由も具体的に示されないままなので回答を留保していたが、最終的に六月末に突然呼び出された際、そこで突きつけられたのが懲戒解雇だった。
大月氏が憤慨したのは、その理由だ。
「懲戒解雇は本来ならお金を使い込んだとか、刑法に触れるようなよほどの辞退事態がなければ出ない処分のはずです。しかし、私の処分の理由の一つは、城後前学長が三月三一日に実施した記者会見に同行していたというものでした」
その他の理由には、留学生の問題についての資料を、城後氏が教授会の決議などに基づくことなく「教授会一同」の名前で外部理事に渡すことに同調したことや、Twitterで複数回にわたって大学の内部情報を漏洩したことなどが挙げられていた。
「簡単に言えば、城後前学長と一緒に行動していたから懲戒解雇だということです。当然ながら納得がいきませんでした」
大月氏は処分が出たあとすぐに、札幌地裁に地位保全の仮処分を申し立てる。この申し立ては最高裁で却下されたため、続けて二〇二〇年八月に法人を相手取り、損害賠償を求める訴訟を札幌地裁に起こした。
■ 玉虫色の結論と文科省OBの存在
留学生の不適切入試自体は、調査をしていた関係機関によってどのように処理されたのか。出入国在留管理庁は二〇二〇年九月に調査報告書を提出した。その内容は、法令違反はないと結論づける一方で、三点の指導を行ったというものだった。
法人側は、外部の人間による第三者委員会を立ち上げて、出入国在留管理庁が調査報告書を提出した翌月の一〇月に委員会は結論を報告した。
「大学が二〇一九年四月に入学を許可した外国人留学生の受け入れ(入学試験及び合否判定を含む)は、城後前学長の下で、大学教員の自主的判断に基づいて行われ、入学後の外国人留学生の在籍管理も適性に行われており、法令に適合し、不正その他のコンプライアンス違反は存在しない」
つまり、留学生の受け入れは学長以下、教学側の判断でなされたことで、法人側に責任はないし、問題はもなかったという報告だ。
出入国在留管理庁からは指導があったものの、事情聴取まで行った文科省からは何のアクションもない。法人が第三者委員会を立ち上げた背景には、文科省とやりとりがあったことも推察される。それにしても、文科省の態度は城後氏や大月氏、教員からは「玉虫色」と見られてもしようがないのではないだろうか。
実は、城後氏が退任した翌日の四月一日には、新たな理事に文科省OBの嶋貫和男氏が就任している。第五章で改めて触れるが、嶋貫氏は二〇一七年に発覚した文科省の組織的な天下りのあっせんで、中心的な役割を果たしていた人物だ。留学生問題が表面化した数年前から、法人が非公開で立ち上げていた経営戦略委員会に対して、嶋貫氏がコンサルティングを行っていた。大月氏は、留学生の不適切な受け入れについても嶋貫氏が関与していた可能性が高いと指摘する。
「経営戦略委員会の議事録には、嶋貫氏が日本語能力N2は大学の解釈によって相当伸び縮みをするのでそれは裁量範囲です、といったことを示唆する記述があります」
留学生の不適切な受け入れ疑惑の背景に、嶋貫氏の存在があったことは否めないのではないだろうか。しかし、嶋貫氏の存在が、何の処分もしないという文科省の判断に影響を与えたとしたら、大いに問題があると言わざるを得ない。
大月氏が訴えた裁判は、二〇二二年七月時点でも一審の札幌地裁で続いている。訴え自体は「正当な理由と手続きがないまま職を追われた」として、地位保全と賃金の支払いを求めるものだ。法人側も全面的に争う姿勢を見せている。