「むすめ」と「おなご」

「娘といってもみんな一人前にセナ担って仕事ができる者たちですから、力でも強いですよ。坑内の仕事は男と女の区別がないように何でもしますから、娘たちはみんなしゃんとした気分でした。どんなことにでも堂々と向かってやる、こい、という気概でしたね。今頃あんな娘たちいませんねえ。」


「この頃の娘は風船のようで頼りないですね。あの頃のわたしたちの気分を探そうとしてもありませんね。せいぜい土方ですよ、それも大層違いますけどね。ニコヨンの女たちの中には少しあの気分はあります。戦争のあと余計女はつまらんようになりましたよ。飾り立てることしか知らんようになってね。」


「おまえたち山下をどづいたげなの」
「あげな者は叩き殺したっちゃ罪にはならんよ。人間を馬のごと使いやがって」
「そげいうもんじゃなかばい。むすめの子はむすめらしくせな」
「おなごですばい」

……「むすめ」と「おなご」の違い(*゚ー゚)


「むすめ」という認識の個体を「一人前」の労働力として働かせるようになったことでの、うっかり宿り始めてしまった何ものか。
当人たちはもとより、その当人たちを取り巻くまわりの視線や意識の裡にも。
#うっかりしたことを言う


それまでの、当時の認識における「少年」「こども」のカテゴリに「むすめ」が重なっていったかもしれない過程。
「一人前」を前提に変形させられてゆく過程に、うっかり投入されてしまった結果、起こっていったかもしれないこと、について。
#地雷は踏み抜く


こういうの、おそらく本当の意味での、なんちゃらの「近代」、だったりするみたいなんやで。
#踏み抜くったら踏み抜く