「荷物」を捨てよう

 男が誰一人籍を入れず財産分与もせず生命保険に入ることもなく、トイアンナ御大のように数年養って飽きたら捨てるという扱いを女にしてたら女性も専業主婦だ育休1年だなんて悠長なことせず必死に働いてキャリア継続に腐心するでしょうね。女性が男に課してる荷物の重さを一切理解してないのが分かる。


 そして同時に、トイアンナの如き女性の言う「養う」「荷物を半分持つ」とかいうおためごかしがこうも薄っぺらだからこそ男性は必死に働き続けるし、その必死さの差がそのまま賃金格差となって表れるといういつもの結論が再確認できる。


 数日前の「男の荷物を半分持つから女の荷物も待て」とかいうポエムをおためごかしと見抜いて消し炭にした男性達、完全に正しかったよね。彼女らに「荷物を持つ」気なんて一切ないんですよ。自分の物さえ。口先だけです。その口先もすぐボロが出るけど。


 だから男性は背負わされてる荷物を捨てよう、自分の物だけ背負って女性とは別の道を歩こう、というのが私の日頃からの主張です。

 若い衆世代の「おんなぎらひ」が静かに、しかし広く浸透し始めていることにはっきり気がついたのは、もう30年も前のことだったと思う。それは、いつの時代もある、若い衆世代のオトコならではの同性間の共同性――ホモソーシャル、って言えばいいのか昨今は、とにかくそういうものを前提にした、その意味ではこれまでもあったような異性嫌悪といったものとはまた違う、それこそ男女雇用機会均等法以降に露わになってきた「社会的な存在にうっかりさせられてしまった同世代のオンナたち」に対するどんよりとしたやりきれなさ、学校空間の教室からすでに胚胎していて、だからこそかなり一般的に共有し浸透もしていたような違和感徒労感みたいなものの表現、という感じだった。

 〈おんな・こども〉は「守るべき存在」として当たり前であることを、確かに未だにそうあるべきだと思ってみてはいるものの、でも現実にその〈おんな・こども〉の少なくとも「オンナ」の実存たちは、あたりまえに「守られるべき存在」であることに見合って実装させられてもいたさまざまな身ぶりや立ち位置を手もと足もとの制御に置いておく知恵を一気に「そんなのもう関係ないから」とでも言わんばかりに放り出し始めていて、だったら一体何のためにこういう存在を「守るべき」ものにしておかなきゃならんのだろう、というごく自然で素朴な疑問も湧いてこようというもの。

 男女共に同じように社会的存在として生きるべきで、だから当然働くのも同じ、出世も昇給も男女で差があるのはもはや「そういうもの」では許されなくなっているから、全部平等にすべきだし、また実際にそのように世の中の流れが作られてきている。