フェミ・ホモソ・おたく (メモ)

 この人と自分が共通しているのは、そもそもなんでオタク野郎が気持ち悪がられたのか、ということ。元来それは、ホモソの中で父性を得た、男らしい男の視点による、「男らしくない男」への気持ち悪さ。


 んで、多くのオタク趣味もない女性もまた、同じ視点でオタクをきもちわるいと感じたんですね。「男らしくない」「父性を獲得できない男」として。逆を言えば、「男らしい男(に女性は付き従うべき)」という押し付けに辟易しているようなミサンドリー的な女性とは、本来通じ合うものがあった。


 父性、ホモソから見た男らしくない男、女らしくない女。ホモソから「きもちわるい」と見なされる存在。相容れずとも、一定の共通性がある。しかし今、「女らしくない女」は、「男らしくない男」たるはずのオタク達をそのように思ってはいない。


 それはなぜか。次のツイートを引用します。


(続き。)それは、そうした「きもちわるさ」を、ヲタクがヲタクなりに棄却しようとしたから。いつまでも、反抗するだけの存在、サブカルチャーカウンターカルチャーではいけない。我々はメインカルチャーに登り詰める、と。


 棄却すべきだった訳よ。そして「それが出来て初めて」ヲタク文化はメインカルチャーたりうる。何時までも「父を憎み、男に、大人になりたくないと永遠の反抗期を繰り返す」畸形児の侭じゃ駄目だったんよ、ヲタクは。


 恐らくこっからがこの人との相違点で、自分はむしろ、現代のヲタク達は「ミサンドリー的きもちわるさ」を、棄却していると認識する。もう、奇形児扱いされたくはない。サブカルチャーのままではいたくない。そう思った時、彼らの多くは父への反抗を止めた。ミサンドリーから、ミソジニーへ。


 彼らは、棄却したのだ。ミサンドリー的きもちわるさを。だから、いつのまにかメインカルチャーに登り詰めた。


 ところで、自分はこれに大体賛同する。本田透電波男」にも通じる。女性が嫌いだから、女性を求めない。だから、女性を支配したいとも思わない。実に筋が通っているし、誰も不幸にはならない。…ただ、自分にはこれも一種の、ホモソへの反逆に思える。女への執着から自由になれば自分が生きる為のリソースを最適化できる。女を求めるな。女を支配したいなどと考えるな。ミソジニーを極めて女と言う存在から解放されるのだ。


 現代のヲタク達はむしろ「ミサンドリー的きもちわるさ」なるものを棄却する中で、「父のように、ヲタクでない男のように」女を支配したい、という方向性に行ってしまっている。「女嫌いの女体好き」になってしまっているのだ。ホモソは男が男を支配するのが本命で、女性への支配はあくまでその間接的手法なのだと思います。時代がむき出しの支配欲を受け入れるほど、間接的支配は必要なくなり、直接ホモソにリソースをつぎ込む人は増えると思います。