倭フェミと「当事者研究」の経緯&背景・メモ

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当事者研究と似た構図だな。

「やみくもな当事者主義が‥男性の性についての理解を遅らせ、社会を変えることを阻む」

「セックスにかんして、男の首を絞めるのは男である」童貞を研究してみえてきた“男性性”の歪んだ一面とは
『日本の童貞』より #2 #文春オンライン

 記事中で1980年台の雑誌が話題に上るが「マザコン少年の末路 上野千鶴子 河合教育研究所 1986」も、1980年台の若年男性に焦りを植え付けた本の一つだろうな。いたいけな予備校生が手に取ったであろう本だし。1980年台の若者向け雑誌には「煽り」と「いじり」が露骨なものがかなりあった。「これがトレンド」の主張と「これはダサいからバカにしていい」のメッセージがぴったりとくっついていた。大学生や高学歴者をターゲットにした雑誌はより露骨だったように記憶する。


 お笑いブームが、ほぼ同時期であったことは「いじり」を「そのくらい言ってもいいだろう」と、正当化する手段として機能してしまったかもしれない。「言わぬが花」「人には人の事情がある」が、消え、露骨なマウント合戦に躊躇がなくなった時代だったように思う。「他人の事情」や「他人の好み」、果ては「他人の考え」までマウント合戦の材料になっていったのはこの時代であったように思う。「貧乏」も「ダサい」も、マウントを避けるためには隠さなくてはいけないものになった。あるいは先手を取ってマウントする側に回ろうとする…もあっただろう。


 高度成長期の歌にある「ボロは着てても心は錦」(いっぽんどっこの唄 水前寺清子)といった、貧乏人の僅かな心の慰めすら否定されていった。「言論の自由」を盾にして「他人の領域」にズカズカと踏み込んでいくマウント合戦によって「自己責任」枠が拡大されていったともいえるだろう。


 「女子大生ブーム」が起こったのもやはり1980年台。「女子大学生」のイメージを「お堅い→才色兼備」に塗り替えたともいわれるが、そのイメージに合わせないとマウントのターゲットになりやすかったのでもある。

 
 その風潮は、自然発生的なものだったのだろうか?私はかなり疑問だったと思う。まだネットが影も形もない時代である。映像・出版メディアの影響力は大きかった。「自由・個性・対等」などを旗印にしたマスコミ文化人の影響は少なくなかっただろう。「おいしい生活」に象徴されるバブル的消費文化は、モノだけではなく、容赦なく「他者」を消費していったのだ。

  
 バブルが崩壊して以降も「勝ち組・負け組」などと、他者のありようをすら消費する構図はなかなか崩れなかった。情報流通のルートが相変わらずだったからだ。バブル後の1990年前半台は、トレンディドラマとエコと感動ポルノだっただろう。「勝ち組になろう」と「優しいわたしであろう」バブルが崩壊し、採用減、リストラの波が吹き荒れても、メディアの論調は変わらなかった。「いかに勝ち組になるか?」といった視点に立つ「仕事術」やら「自己啓発書」が本屋の店頭に山と積まれた。
 

 とりもなおさず「自己責任の時代」であり「マウンティング戦争の時代」である。そして「マウンティング」と「忖度」が大手をふるうことになる。忖度ベースで仕事をし、マウンティングで地位を確保…生産性が上がるわけはない。「オタク」「キモオタ」「KY」「アスペ」「コミュ障」「陰キャ」など、さまざまなマウンティング用語が生まれた。


 「感動ポルノ」に批判が出たあたりから「当事者の声をきけ」という物言いが増えた。なんのことはない「当事者でないお前は黙ってろ」であり「当事者に忖度しろ」である。「当事者マウンティング」の登場である。


 「消費者ニーズ」から「当事者ニーズ」への、マスメディア側のターゲット拡大があったのだろう。それは一見すると「多様性を認める」だの「福祉社会」など「よい事」に繋がりやすい。そのため、そのマウンティング性については問題にしにくかった。身体障害当事者、精神障害当事者、不登校当事者、女性、マイノリティ当事者…といったかたちで批判ご法度の「当事者様」の枠が膨らんでいった。ちいとでも批判すれば「差別的」という石つぶてが飛んでくる。なかなか息苦しい。


 なにせ「当事者主権」である。いったい誰がその「当事者性」を判定するんだい?という問題はあるし、その主張は筋が通ってるか?or現実的か?などの問いも出てくるんだが、「当事者ニーズ」が最優先されるマウンティングワールドである。なかなか手強い。


 ついに「ケアのニーズを持つ者」にまで当事者様の枠が広げられたのは、上野千鶴子氏の「ケアの社会学 医学書院 2011」であっただろう。まあ高齢化社会であり、一部の高齢者にはこの思想は受けるのだろう。下の世代に対し、マウンティングしつつ忖度を要求するものである。そして、それは同時に、福祉制度の拡充を「官」のからんだ、安全性の高いビジネスチャンスと捉えるネオリベ財界方面への忖度であったのかも知れない。「当事者主権」と「当事者研究」を経由した「協」の政治性強化と、ネオリベ的「官製サービス」の搾取的あり方は、表裏一体である。


 バブル崩壊後の失われた10年が、いつしか失われた30年になった。経済界は80年台広告代理店的な「マウンティングマーケティング」を捨て去らず、企業内にもマウンティングと忖度が蔓延った。グローバルだの何だののお題目を隠れ蓑に「このままではだめだ」とマウンティングを続けた。


 バブル初期からだと40年。世代は第二世代になっている。マウンティングワールドに順応して育ってしまった層にとっては「彼女は頭が悪いから」も「恋愛工学」もある意味「正解」だ。「平等に貧しくなろうby上野千鶴子」と同一構造のマウンティングワールド的正解なのである。マウンティングワールドの根幹は「他者の領域」に踏み込んでの「他者の消費」である。被害を被らないためには、できるだけ距離を置くにこしたことはない。

 
 だが、そこでもう一つの仕掛けがネックになりやすい。「学校コミュニティ」だ。1970年頃から、初等教育における「生活指導」とやらが、教師への忖度を誘導する「集団主義教育」方向に向かった。やや下火になりつつあるものの、今も「勇気づけの見守り」と称したマイルド洗脳的指導が教員向け書籍が出回っていたりする。マウンティングワールドに引き込まれやすい素地は、初等教育において培われやすい状態は長く続いているといったところだろう。


 さっくり遡っておくと、大正期の自由教育運動と各種文学運動、旧ソ成立前後で流入した共産思想、戦後流入した旧ソ的教育が、魔合体して日教組左派に「(共産主義的)民主主義教育」の方法論として、小中学校の生活指導になだれこんだ。教科ではないため官との対立が生じにくかったことも災いした。民主的教育というたてつけで「気持ちのありようへの介入』が正当化されてしまった。「民主的教師物語」に子どもが消費されたともいえる。「批判的に考えなさい」には「集団及び教組的正義には抗わないこと」の裏メッセージがついていた。そういう裏打ちの後の「バブル期」だったのだ。


 バブル期は米ソ冷戦の末期でもある。こと優等生的若年者を直撃するようなダブルバインド的メッセージは社会には溢れてもいた。家庭の状況もさまざまである。生きるために一時思考停止したとしても責められるものではないだろう。再生産さえしなければ。


 「いま」の日本の惨状は、バブル期から始まったマウンティングと忖度の横行の果てなのだ。「いきすぎた当事者主義」「当事者主権」といったかたちで再生産されている。「意識のアップデートを」というのは、単なるマウンティングと忖度の要求である。威勢よくお断りするのが吉だ。が、最近のものはエモーショナルマーケティング手法満載なものも多い。