「「いま」の日本の惨状は、バブル期から始まったマウンティングと忖度の横行の果てなのだ。」
当時のおたく第一世代あたりの〈リアル〉という意味では、戦後民主主義的な意味での「平等」と「個性」の相克みたいな状況が日常化していた記憶。それが「学校」空間において濃縮された形で日常化されていたような。お互い「個人」として「平等」である、ということと、でも同時に「個性」を発揮すべき/しなければならない≒自分以外の他人との「違い」を求めるべき/求めねばならない、ということが、常にせめぎあっている状態。
これが「勉強」を介した局面で先鋭的になって、いわゆる偏差値教育的「平等」下の競争が受容されていたし、特にそれがある種ミッションと化した層≒都市部中間層的価値観を内面化した人がたにとってはなおのこと、でその煮詰まった表現があの「共通一次」から「センター試験」として理解された、と。
「消費者」としての〈おんな・こども〉の前景化の過程はそれよりずっと前、かつずっと大きな流れとして都市化・大衆社会化と寄り添いながら進行していたと思うが、戦後の過程でそれがよりブーストされていった状況が下地としてあって、それら「平等」と「個性」の相克が現出されていったように思う。
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— lazykitty 🍥 (@caazzy) 2021年7月2日
一応1985年の臨時教育審議会一時答申で「個性重視の原則」が示されて個性化への志向が強まったとあるけど、制服、髪型、ファッション等の外見の個性が許容されたのがメインで考え方、性格、思想のような内面の個性はずっと後か未だ重視されていないと思いますね。 https://t.co/gZlqGIITtv