「大学」という場への不信感の増幅

 いまさら改めて言うまでもなく、そして殊にウクライナの一件が勃発してこのかた、本邦国内的な情勢の変化の一環としても、人文(社会)系の「学問」に対する不信感、違和感が世間一般の間にも強く抱かれるようになっていて、それはひいてはそれら「学問」の宿る場としてあってきたはずの「大学」への信頼感が、それらの中に棲息している人がたに対するそれごと、不可逆的に大きく減退していることでもあるんだろう。

 ただ、それがさて、果してどれだけ本質的で致命的ですらあるらしい危機なのか、当事者であるはずの中の人がたほど、それらの本質的な部分に対して鈍感に見えるのは、果してなんでなんだろう。

 たとえば、自分が現に「大学生」である、あるいはそうであって不思議ない年代・世代の若い衆や、これから社会に出て生きてゆかねばならない10代以下も含めて、そういう年回り、そういう立ち位置にある人がたの間の「学問」感、「大学」感が大きく毀損されていることの危うさが、未だ大文字の能書きの水準でしか言語化されていない印象なのだ。

 さらに別のたとえばとして、コロナ禍このかた、遠隔授業が当たり前になって、具体的な「場」としての「大学」が否応なしに形骸化させられていることが、それら「学問」「大学」に対して抱かれてきたイメージにも大きな影響を与えていて、そしてそれは今後簡単に修復できなくなっているらしいこと、など。

 自分はそういう意味での「大学」に、振り返ってみても実はそれほど実際的な恩恵を受けてきていないみたいなんだが、それでも、あるいはだからこそ、「学問」がそういう「場」としての「大学」と不即不離の関係で成り立っていたことに対する信心みたいなものは、人より強くあるらしい。

 私大の学部と院を底辺人文系で過ごし、30歳で当時の国立大の隅っこに職を得て、その後10年足らずで思うところあって辞して野良暮しを10年ほどした後、再度ご当地例の大学に、というワヤな経歴だから、偉そうに「場」としての「大学」だの「学問」だのどうこう言える分際でもないのは十分自覚しとるが。

 裁判の行方は、勝敗別にして未だ不透明だし、「懲戒解雇」無効と復職訴えているものの、すでにフルタイム定年期日を過ぎ、特任保証の年限もあと2年を切っとる以上、遅滞戦術とられたら最終的な判決出ても実質「大学」に戻ることができない可能性は少なくない、それもそろそろ覚悟はし始めているが。

 地方の零細私大、巷間言われる「Fラン」とは少し違うご当地地元文脈の意味でもすでにワヤだった「大学」としての内実が、ここにきてさらに最終的な破綻に向けて取り返しのつかない地点をとうに過ぎたように見える、そんな「大学」であっても、まだ「場」としての失地回復は夢見ておきたいもので、な。

 どこか新たに大学その他に職を求める気持ちはないのですか、的なこと言われる機会もたまにあれど、「懲戒解雇」で裁判係争中の凶状持ちが、公募であれ何であれ手を挙げたところで門前払いが当然で、加えてそれ以前の経歴からして「なかったことにされる」身の上渡世だったからさらに言わずもがな。非常勤とかは?とおっしゃる向きも、おそらく善意であったりするが、ご当地に本格的に腰落ち着けるようになって15年ほど、ひとつも非常勤やっておらず、そもそも声すらかけられていない「ヨゴレ」がこの歳になってどうやって、という説明を、まあ、あたりさわりなくしておくしかなく。

 研究室その他に「拉致」されたままの資料・古書の類も、2年間触れられぬままなわけで、どうやら人文系不毛(らしい)のご当地では図書館その他でまず手に取れないようなわけのわからん雑書が大方な分、日々蝸牛の歩みなあれこれ考察沙汰に不便・不自由が常態化しているのもまあ、間違いなく。