美術・芸術・文学、への疎外感について

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 「美術」や「芸術」といった方面についての勉強が、いつもどこかよそごとになっていた。させられていた、と言った方が、正確かもしれない。

 逃げも隠れもしない、天下御免の純粋培養私大文系3教科育ちのこと、本来ならそういう「美術」「芸術」方面にもそれなりの知識なり見識なりを、嘘でも持ち合わせていなければ恰好もつかないはずなのだが、いま振り返って考えてみても、素朴に苦手という以上に、何というか気後れする感じ、もう少し深いところではうしろめたさみたいなものも含めた、何にせよまっすぐ正面から関わってはいけないもの、のような気持ちに、勝手になっていたようなところがあるらしい。

 いまやもう半世紀近く前のことになってしまうのだが、大学に入る際、ほんとは文学部を志望しながら、結局そこには受からず、半ば親の手前、それ以上に世渡り方便に阿ったところで受けてみていた法学部なんてところに紛れこんでしまったことも、どこかで影響しているのかもしれない。いや、考えてみれば「美術」や「芸術」だけではない、そもそもその「文学」なんてのにも、似たような気後れ感、うしろめたさみたいなものはずっと持っていたように思う。

 敢えて脳天気に、肯定的にだけ考えれば、それはその後ほとんどずっと、あらゆるジャンルや分野、専門性といったものに対して、期せずして等価にフラットに、別な言い方をすれば無責任に融通無碍に、自分勝手に関わって思うままにつまみ喰いしてみせることができてきた、そんなおのれのものを考える上での作法、生きる速度での習い性の原点のひとつになっているのかもしれない。

 と言って、もちろんその「法学部」の勉強について、正面から真面目に取り組んだのかというと、すまぬ、全くそんなことはない。法律関係に拘わらず、経済であれ何であれ、時間割にずらりと詰め込まれていたあれこれの社会科学一般に対しても、「美術」「芸術」「文学」とは違う意味でのアウェイ感、それ以上にさらに加えて「ああ、これは自分などは、さらにお呼びじゃない世界だな」という疎外感を、コントラストの強いモノクロ写真のような明確さ、抗いようのない鮮明さで、くっきりと抱かされるようなものだった。

 何がいけなかったのか。そうだな、大学で指定される教科書や入門書の類の文章、あの文体含めたよそよそしさが、まずダメだった。社会評論社有斐閣といった版元によってそれぞれ持っている特有のスタイル、その頃はまだ多くは函入り、でなくともグラシン紙のかかったようなハードカバー、多少くだけたソフトカバー版であっても見るからに行儀良さがありありで、文学部のまわりの書店のたたずまいとはまた少し違う、いかにも社会科学でござい、という恰好のつけ方だった。きっちり身体にあった背広をスーツで着こなす正しい会社員、なんちゃってのホワイトカラーではない本当の意味での「オトナの勤め人」の様子とも、それは同期して見えたものだ。

 でまた、それが大学のまわりにある、それら教科書や入門書を主に並べているような書店の棚にずらり一個連隊単位で整列されているのを見ると、さらにげんなりした。それまで好き放題、何の目算も特にないまま、気の向くままに手にとってきた活字とのつきあい方からすれば、まずほとんど接したことのない、知らない世間の全くなじみのない顔また顔、といった感じで、まずそこから拒否感が先に立ってしまったらしい。

 好きに本を選び、読み、そしてまた次の興味関心に誘われるままに別の本へと移ってゆく。その道行きの中で、自分のやくたいもない考えや了見が日々移り変わりながら、それでもそれなりに何か輪郭めいたものを獲得してゆく。

 美術大学の類ともほとんどつきあいのないままだったが、その頃の美大の日常を振り返るようなエッセイやマンガその他の創作を、その後ちらほら目にするようになったあと、あ、自分も結局こんな日常を「大学」というたてつけの上に送っていたんじゃないのか、という気づかされ方をした。

 当時の大学で与えられる教育の多くは、カリキュラムや教育課程が想定しているような内実とはものの見事に関係なく、それぞれが好き勝手に、時にサークルやその部室、あるいはたまり場の喫茶店や呑み屋、スナックなどを介して、無手勝流にできあがってゆく「関係」と、その上に宿る「場」の相関において、それこそ星雲状の人文的混沌といった状態の裡から、生まれ出るものなら生まれ出ていたようなものだった。そして、全く等価に、ほとんどの場合は何ものも生まず、ただその中で過ごした日々と時間がそれぞれの身の裡に、ごく個人的な教養を膨大なバリエーションとして残して行っただけのことだった、ということも言い添えておかねばならないだろう。東京でそうだったのだから、当時のあの京都なんて土地は、そんな人文的混沌があの狭い数㎞平方に、期せずして凝縮されてしまった蠱毒化空間だったのだろう、いまさら振り返ってのことだけれども。


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 期せずして、無職隠居渡世になってしまったことで、それまで気になっていてもなかなかあらたまって読むこともできなかったような分野の本――もちろん古書雑書なのだが、それらをそれなりにまとめて読むことができるようになって、そのような読書遍歴に「美術」「芸術」系のものが入ってきたのも、かつて敷居が高かったそれらの世間に、ようやく臆せず韜晦せず素直に向かい合えるようになってきたのかな、と思ったりする。

*1:NOTESに書きとめたメモや雑感などを下地にしながら、掲載原稿として仕上げることもあるのは、日々の作業の一環ではあり。発想を書きとめておくことの備忘録というのは、そういう意味もあるわけで。何年も間をあけて形になる場合もあれば、割と直近、熱や気分がさめないうちにまとめる場合もあるけれども。 king-biscuit.hatenablog.com