おとなになる、ということの現在

(続き)これはつまり世の中のマジョリティが薄っすら尾崎豊になったわけで、昭和30年代生まれの彼らが「大人」にならぬままお題目を唱えて他人の人生に介入する初老・老人となった令和、大人になることとお題目・お説教とは関係ないのだと徐々に認識されるようになってきた。


 昭和は大人になることがよいこととされてたので齢を取った人間は大人になった気でいた。ただし、年長者がお題目を唱えつつ他人の人生に介入するのを見た子どもや若者だけは「大人は醜い」と言っていた。その年少者が平成には齢を取り「大人にならないこと」がよいことと思われる時代になった。


 高度成長期に生まれて一定の地位を得てきたサブカル者(下はざっくり僕の数歳下の世代くらいまで)にしばしば見られる「思考の限界」がこの点に露呈していると思います。


 ジョセフ・ヒースやジョーダン・ピーターソンはこの問題をしっかりえぐってきてますね。