「声」の優越の現在・メモ

 体育系の教員談。授業で身体動かすBGMに嵐のオルゴール曲流してたら、学生が「センセ、嵐の声聞きた~い」と言ってきた由。

 ああ、音楽はすでに「声」に合焦させて聴くものになっとるのかも知れん……そう言えば、「声」さえあれば絵(画面)など(゚⊿゚)イラネと言い放っとったアニメ声優好きもおったしな。あの「視覚の優越」というのも、もしかしたら文脈や意味あいの異なるものになり始めているのかも知れない。あるいは、これももう何度か触れてきている、かつてある時期から浪曲浪花節の聴き方は「眼をつぶって聴く」になっていったらしいこと、などとも連なるお題としても。

 音楽にせよ何にせよ、そのように「眼を閉じて」、つまり視覚を遮断して「聴く」というのは、ある意味自分の内面にその「聴く」を介して意識を内向的に合焦させてゆくようなところがあるわけで、それは「心象風景」的な、内面に何らかの映像的イメージを立ち上がらせることでもあるような。そしてさらにそれは、例の「やくざ踊り」的な「当て振り」の隆盛などにも連なってゆくだろうお題でもあり。またあるいは、ある意味「自己陶酔」の民俗精神史/誌、みたいな射程と共に、カラオケで「眼をつぶって」自己陶酔的に歌う、というあの身振りなどにも。また、もはやそういう身振り自体、もうかなり世代に規定されるものだったりもするわけで。

 「声豚」と揶揄され、あるいは時に自嘲的に言われるような声優の「声」にだけ、おのが身体性のあらゆる水準を収斂させてゆくような志向の生身を持ってしまっているらしい、ある世代以降の一群。それは決して生物的な意味でのオトコだけでもなく、もはやオンナについても同じような「声」への収斂、意識の合焦は設定されているような事情は、冒頭の「嵐の声聞きた~い」の挿話からもすでに明らからしいわけで。

 ひとつ考えておかねばならないこととして、耳もとで音を常に鋭角的に聴かされてゆくような環境が、イヤフォンやヘッドフォンというデバイスの普及によってある種普遍的なものになっていった過程が、音を聴くという体験自体の意味も内実もそれまでと違うものにしていったかも知れないことはあるだろう。イヤフォン自体はかつてトランジスタラジオが新たなモバイルデバイスとして普及してゆく過程で、そのラジオの音を自分だけのものにしてゆくために手に取られていったはずで、もちろん当時は片耳に向けたモノラル音声の、しかも文字通りの音声としてのみでその音質やクリアさなどについてはほぼ考慮されることはなかったのだと思う。

 昨今の風潮、および情報環境のありがたいところで、こういう暮らしの中のささいなモノやコトについての歴史や来歴について自前で掘ってゆくような営みは、さまざまな広がりを持ってすでにweb環境に宿っている。ここでこだわっているような「声」の優越の現在を考えてゆく上での前提としての、イヤフォンやヘッドフォンなどの耳もとデバイスについても、すでに誠実な考察が披露されてはいる。たとえば、このように。

 ヘッドホンという存在が歴史上、初めて登場したのは音楽鑑賞用ではなく、電話交換手用のものだといわれています。1880年代に普及が始まった電話(日本でも1890年にサービスがスタート)は、電線ケーブルの効率化のために交換機が必要でした。交換機がないと各電話機同士を直接接続しなければならず大量のケーブルが必要になります。そして、交換機のケーブルを繋ぎ変えて通話者同士の電話機を接続するのは、人の手によって行われていました。その電話交換手が使っていたものが、世界最初のヘッドホンです。片耳のみで、卓上型のマイクもセットで活用されていたため、ヘッドホンそのものというより、インターカム用ヘッドセットの原型といえる存在でした。

www.j-cast.com
www.j-cast.com
 ただ、ここで「イヤホン」と表記されているものは、ウォークマン介して一般化していったイヤフォン系のヘッドフォン(妙な言い方だが)のことになっていて、それまでのトランジスタラジオなどに突っ込まれることを想定していたはずのモノラルの、安価でたよりなげなあの一本コードのイヤフォンのことではないらしい。「音楽鑑賞用イヤホン」と明記されているあたり、意識されているのは「音楽」を聴くためのデバイスとしてのイヤフォンなのだ。

 耳もとで音を響かせる、という意味あいならば、むしろ補聴器などの方がより、この場での趣旨に近いような気がする。再度、ありがたいことに補聴器についてもこんなサイトがひっかかってくるのが昨今の情報環境。由緒正しい「好事家」的味わいがうれしい。
home.a01.itscom.net
 このサイトなどを参照する限り、今言っている片耳一本コードのイヤフォンは、どうやら1940年代半ばあたり、第二次大戦の終わりあたりから補聴器に附随するデバイスとして存在するようになったらしいことがうかがえる。もちろん、「音楽」を「鑑賞」するためのモノではなかった。戦後、本邦で発明されることになるトランジスタラジオにも、補聴器と同じくそのようなイヤフォンが附随するようになっていったのには、当時のトランジスタラジオの小さな華奢な筐体に収まるスピーカーからの音量がそもそも小さかったことから、附録的につけられていたという理由があったようだ。
f:id:king-biscuit:20200324003836j:plain
f:id:king-biscuit:20200324003857j:plain
f:id:king-biscuit:20200324004050j:plain
 音楽を聴くことと、ラジオを聴くことの違い。ラジオから流れてくるのが人の声であれ音楽であれ、それはラジオというデバイスを介して流れてくる音声という意味では同じことであっても、しかし「音楽」というカテゴリーを前景化して考えるようになるなら、それはラジオよりも「良い音」で「より大きな音量」でスピーカーを介して、言い換えればナマの演奏と地続きの、「場」を共有しながら空気振動を介しての音声として「聴く」ということになっていったはずだ。具体的にはレコードというメディアを介して、願わくば「ハイファイ」なクオリティで「再生」されることのできる環境を望むようになる。蓄音器からステレオ再生、あるいはジュークボックスのような形をとることまで含めて、「音楽」を「聴く」ことはその演奏の現場にできるだけ近づいた「再生」を理想の状態にしてゆくことになったらしい。

 東大大学院の片桐早紀氏によると、ジューク・ボックスはもともとアメリカ産だが、これが日本にやってきたのは50年代の米軍キャンプあたりで、その後ユダヤ商人たち(そのひとつは現在のタイトー。ちなみに、これはユダヤ人ではないがセガもジューク・ボックスを手がけた大手だった)がこれを国内のバーやクラブに売り込み、次第に普及していったと言うことらしい。

blogos.com
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mscom/87/0/87_KJ00010016972/_pdf/-char/ja *1
www.jstage.jst.go.jp
 それらに対して、補聴器~トランジスタラジオ+一本コードのイヤフォンの流れは、決してそれら「場」を共有することを前提とした音声の「再生」を理想としていなかった。むしろそれと対極的に、生身の耳もとにおいてだけ、耳介の内側に向けて「個」にだけ鋭角的に突き刺さる音声の伝達を旨としていたと言える。トランジスタラジオが短波での競馬中継や株式市況などにイヤフォン介して耳傾けるような音声の聴き方を準備していったことは、ステレオ再生装置~ジュークボックス系の「音楽」の「再生」の環境における音声との接し方とはまた別の「個」のありようを結果したはずだ。そしてそれは、おそらくはSPレコードや初期のラジオなどを介して語りものとしての浪曲浪花節を聴く経験の不特定多数の蓄積が、「眼をつぶって」それらに耳傾ける作法をかたちづくっていったらしいこととの、歴史の相においての関わり方をひとつの問いとして立ち上がらせることになるのだろう。それらと有線放送の普及、初期8トラックも含めたクルマの中での音声の再生、そしてカラオケの本格的な普及などと複合させたところでの「もうひとつの情報環境論」の可能性については、さらにもっと少しずつ、さまざまなメモや断片を吹き寄せるように構築してゆく試みを続けるしかないらしい。

*1:昨今のメディア論wやら表象文化論wwやらの手癖での「業績」ではあるようだが、ただ例によってノリがよろしくないというか、雑誌その他の細かな素材や資料をたくさん集めているあたりはさすが地の利、しらべものや検索に圧倒的なアドヴァンテージのあるトーキョーエリジウムの人がたゆえの贅沢さはあるものの、じゃあそれって何のためのマジメさ、というあたりの疎ましさはほんとにどうにかならんのだろうか、このテの若い衆世代のこういう仕事につきものの、若いのにもはや抜き差しならぬ不自由の気配。