ゲーセンと「地元」・メモ

 今でこそ格ゲーは全国に強い人がいますが、それはネット対戦のおかげ。昔はその人の強さは、どこのゲーセンが本拠地かでだいたい分かりました。お金を投入しながら遊ぶ都合上、周りの強いゲーセンにいくと100円出して60秒間なにもできずに終わることになるからです。

 今はゲーセン台でもネット対戦があるため、本当に変わりました。でも、ネット対戦のない台は今も同じかもしれません。もうずっとゲーセンにいってないから分からないけど。(本拠地のゲーセンが潰れたり格ゲーの台が消えた勢)

 ゲームについては、ゲーセンorアーケード系含めて概ねアウェイで、ゲームをプレイする、遊ぶということに関して何か実になるようなことはほとんど言えないていたらくなのだが、ただ、「場」とそれを作る「関係」という意味でのゲーセンやゲームという視点からはそれなりに興味関心を持ってきてはいるので、こういうお題がらみのtweetが流れてくると、ちと反応してしまう。

 ネットを介した「対戦」が可能になったこと、「動画」を撮影してwebで共有できるようになったこと、このへんはゲームをめぐる環境が大きく変わった要因になっているらしい。それは、自分のような門外漢でも想像できる。「地域」「地元」の子どもを軸にしたユースカルチュア/サブカルチュアのターミナルに過ぎなかったネット接続以前のゲーセンが、それまであった子ども相手の小商い、それこそ駄菓子屋などのネットワークのあり方の延長線上に「関係」と「場」を編み上げていたらしいこと、それがインターネットに接続されることで一気に「地元」を越えてゆくそれまでと違う「関係」と「場」の端末になっていったことなどについては、たとえば数年前にリリースされたこの記録映像あたりがわかりやすく示してくれている。*1
news.ameba.jpwww.100yenfilm.com
 あの「ポケモン」の田尻智なども、まさにそういう「地元」のゲーセンでの原体験を大事に育みながら、後の仕事に開化させていったことはすでに有名だろうが、それはかつての駄菓子屋を足場にしたメンコやベーゴマを「通貨」として結ばれていった子どもの「関係」の拡がり方とも重ね合わせることのできる、ある意味等身大の現実の拡張過程を生身の成長過程と共に踏んでゆくことのできた、その限りで「教育」的な媒体としてもゲームがゲーセンとの繋がりの中で役割を果たしていたことの証しではあったろう。

 ある時期からゲーセンは、クレーンゲームとブリクラ機が席巻するようになっていった記憶がある。それらがそれまでの格闘系ゲームなどと同じようにゲーセンに集まる子どもや若い衆を惹きつけていたのか、そのへんはわからない。先の記録映画「100YEN」では「太鼓の達人」や「ダンスダンスレボリューション」などの身体を使って遊ぶゲーム機の出現が、本邦のゲーセンのあり方をまたひとつ変えたところがあるという視点と、それでもやはり日本社会ではゲーセンが子どもや若い衆ら、いわゆるティーンエイジャーのコミュニティの結節点のような役割を担っている、という基本的な枠組みは維持した分析をしていた。それらの視点と、クレーンゲームやブリクラ機の隆盛とがどうつながるのか、あるいはつながらないのか、そのあたりは〈いま・ここ〉の問いになってくるし、それは何より外国人でない、そこに実際に住んでそこで生きているわれわれの手がけるべき課題になっているはず、なのだが。

 

*1:弊社若い衆にも毎年、必ず観せる素材のひとつ。外国人の目線からだからこそ明快に「わかる」につなげられている本邦ゲームとゲーセンのありよう。社会と経済、歴史とが準拠枠として明快に設定されているがゆえに「わかる」に至れるあたりの方法意識の明晰さ。