1995・幸福の科学&ブルーハーツ

 大川隆法が死んだ。僕の中の1995年が、また一つ終わった。なぜ大川隆法で1995年を思うのかというと、この上なくクソッタレな形で僕らがブルーハーツを奪われた年が、他でもない1995年だったからだ。


 ラジオで唐突にヒロトが解散を宣言してからは、信じられない速さで何もかもがガラガラに崩れ落ちていった。河ちゃんが幸福の科学にハマってああなったのをJAPANのインタヴューで堂々公言した直後、今度はファンクラブの会長がオウムの出家信者になった報せが飛び込んできた。


 当時の週刊誌には面白半分に「宗教バンド」とあんまりなあだ名をつけられ、それがまた屈辱だった。オウムに出家したFC会長を取材したQJに書いてあったのかな、解散直前の頃のヒロトが飛び入りのライヴで「あなたは神を信じますか」とヤケ気味にがなってたなんて情報も入ってきて、それも心が痛かった。


 そんな具合にズタボロになっていた真っ最中に、ヒロトマーシーが「また一緒にバンドやります!」と電光石火でハイロウズ始めた時は、そりゃまぁ狂喜した。1stアルバムの楽曲は、河ちゃんをディスってるような歌詞ばかりが並んで、それがまたスキャンダラスでゾクゾクきてしまった。


 僕も単純なので、生まれたばかりのハイロウズ聴いて「ヒロトマーシーありがとう! 河ちゃんザマーミロ‼︎」と、テンションぶち上げて浮かれてた。でも今思えば、初期ハイロウズ聴いて河ちゃんを必要以上にこき下ろすことで、ブルーハーツを失った悲しみを相対化して精神のバランスを保ってたのかも。


 ハイロウズ結成当初のヒロトも、夜ヒット・カメラマン暴行事件を筆頭とする偽悪者的・露悪的なパフォーマンスが目立ち、肩肘張りまくりで自然体とは程遠い様子なのは明らかだった。ヒロトも、自分の中のブルーハーツを葬り去るために必死だったんじゃないかな……たぶん。


 ホントにね……解散宣言から年末の夜ヒット事件まで、1995年ってやつはアッという間の電光石火で過ぎ去っていったんですよ。一生忘れえぬ“あの”1995年を締めくくるイベントが夜ヒットのカメラマン暴行事件というのが、またパンチが効いてるじゃないですか。


 俺こんな調子でね、死ぬまで1995年の思い出話ばかり繰り返して歳をとり続けていくんでしょうね。