『藤子スタジオアシスタント日記』を読んだ勢いで、これより、ここ10年で読んだ漫画史(主に手塚-トキワ荘系)関連の本を紹介していきます。1日1~3冊ペースで。
— 伊吹秀明 (@hiibuki) 2015年8月21日
『藤子スタジオアシスタント日記』を読んだ勢いで、これより、ここ10年で読んだ漫画史(主に手塚-トキワ荘系)関連の本を紹介していきます。1日1~3冊ペースで。
①『「漫画少年」物語』加藤丈夫 都市出版 2002年 「ジャングル大帝」を連載し、のちの漫画家(小説家)たちが競い合って投稿した「漫画少年」の編集長・加藤謙一伝(著者は長男)。いまでこそ伝説だが、「漫画少年」の末期はトキワ荘の新人漫画家たちの同人誌と化していた。藤子A先生『トキワ荘の青春日記』の鼎談によると、学童社が飯田橋に越したころには編集室の天井まで返本の山。藤本「返本ナダレで遭難(笑)」 安孫子「でも、行くといつもうまい昼飯が食えるんだ。上等のウナ丼なんか出てね。あれが原稿料の代わりだったのかなあ」
②『ボクの手塚治虫せんせい』古谷三敏 双葉社 2010年 著者は手塚治虫の並木ハウス時代にアシスタントを務めていた。有名な「冒険王」編集カベムラの原稿破り事件は、床にポンと置いただけだった。手塚は自分の結婚式のとき、アシスタントたちの礼服代をポンと出したが、式当日も原稿描き。その後、古谷三敏氏は独立して「少女」で連載が決まったものの、直後に同誌は廃刊。「おそ松くん」で忙しい赤塚不二夫のアシスタントを務めることになるのですが、初対面で「ボクはギャグが嫌いなんです」と暴言を吐いたそうです(笑)。あとで「ダメおやじ」を描くのに。
③『トキワ荘日記』水野英子 スタジオアルタイル(私家版)2013年(第3版) 1958年に紅一点としてトキワ荘に住み、石森・赤塚両氏と合作した著者による思い出。石森氏のお姉さんが亡くなった晩のこと、ブルーフィルム上映時に追い出されたこと。最後に時代考証用にと当時あったもののメモ。
④『U・マイアって誰?』水野英子 スタジオアルタイル(私家版)2013年 U・マイアというペンネームで、石森章太郎、赤塚不二夫と合作した経緯、その方法と状況について。発案者は「少女クラブ」編集の丸山氏。作者はU・マイアのみの公表だったので正体をめぐって大きな反響があったという。
⑤『「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝』伊吹隼人 社会評論社 2010年 『まんが道』の中でユニークな存在だった森安氏の評伝。いきなり孤独死から始まる。道化役をやらせた1981年のドキュメンタリーでNHKが渡したのはテーブルクロス1枚のみ。番組を観た田河水泡は森安を破門した。市川準監督の映画『トキワ荘の青春』(1996)で森安なおやを演じたのは古田新太(同室の鈴木伸一役は生瀬勝久)。「漫画なんか辞めちまえ」と怒鳴る牛乳販売店のオヤジに、「それがなかなか辞められんのですわ」といって雨の中、配達の自転車を漕ぎだす森安(古田)の姿は印象的だった。
⑥『時ヲすべる』1巻 石ノ森章太郎 秋田書店 1995年 著者がトキワ荘時代を書いたものは『章説・トキワ荘・春』(風塵社)が詳しいのだが、この晩年の作品に収録された「トキワ荘1957」(作画中の「竜神沼」が出る)と「スタジオゼロ1964」(同「レインボー戦隊ロビン」)は妙に好き。
⑦『トキワ荘最後の住人の記録』山内ジョージ 東京書籍 2011年 新漫画党で最後にトキワ荘を出たのは石森章太郎氏だが(1961年)、氏のアシスタントをしていた著者は59年から62年まで住んでいる。「墨汁一滴」から「七福人プロダクション」「スタジオゼロ」まで違う視点での紹介。『トキワ荘最後の住人の記録』より。安孫子「藤本氏! 表の煙草屋の前に白川由美がいるよ!」白川由美は『空の大怪獣ラドン』のヒロイン役である。藤本氏(藤子F)は血相を変えて部屋を飛び出し探すが見つからない。安孫子氏の嘘だったが、落ち着いた藤本氏のキャラを考えるとじつに可笑しい。前ツイートの白川由美解説は私が付けたもので、本にはありません(本では日活の女優さんとなっているけど東宝ですね)。
⑧『新宿まんが村』北見けんいち 実業之日本社 2001年 『釣りバカ日誌』の著者による半自伝漫画。3人目のアシスタントとしてフジオプロに入り、スタジオゼロの立ち上げと引っ越しまで。著者の車(ダットサン110型)に赤塚キャラが描かれたのは、日本初の痛車といえるのか?最初スタジオゼロは中野の古い八百屋の二階にありましたが、やがて西新宿に移ります。『新宿まんが村』ではピカピカの新築ビルとして描かれていますが、えびはら武司氏の『藤子スタジオアシスタント日記』ではトイレが和式でボロだとけなされ、時代の推移を感じます。
⑨『ゼロの肖像』幸森軍也 講談社 2012年 名前は有名なのに、それまでありそうでなかった「スタジオゼロ」の評伝。トキワ荘メンバーを中心に、日本TVアニメ黎明期の7年間だけ活動した会社だが、じつは解散も倒産もしていなかった! 鈴木伸一氏の個人事務所・法人として存続中です。ただし、『ゼロの肖像』のあとがきで、鈴木氏は「そろそろ会社を閉じようと思っている」と語っているので、いま現在は不明。
⑩『漫画に愛を叫んだ男たち』長谷邦夫 清流出版 2004年 いままで紹介した中で一番ヘビーなのが本書。著者は東日本漫画研究会時代から赤塚不二夫と行動を共にして、フジオプロのブレーン、ゴーストライター(赤塚名義の文章の大半を書いた)を務めた。赤塚との別れはじつに呆気なく……赤塚不二夫が長い間アル中だったことは知られている(とてもシャイな性格で酒を飲まないと人と会話できなかった)。平成4年9月、寺田ヒロオの死が報じられた日「テラさん、酒で死んだんだよ」といいつつ酒を手放さない赤塚を見て、長谷邦夫はスタジオを出てる。そして二度と戻らなかった。長谷邦夫氏の観察眼は深く、知識も豊富(最初期のSFファンであり、第1回日本SF大会にも参加)。東日本漫画研究会や新漫画党の面々、後にプロとして巣立つフジオプロの人たちの素顔、タモリ誕生秘話から山下洋輔の欧州ツアーなど、60~80年代サブカル史としても読めます。
⑪『トキワ荘の時代 寺田ヒロオのまんが道』梶井純 ちくまライブラリー 1993年 帯に「映画『トキワ荘の青春』原案」とある。他のトキワ荘本には登場しない棚下照生、つげ義春についても触れている。みんなの兄貴だった「テラさん」は、じつは反トキワ荘的な棚下にだけ本音で話していたという。
⑫『章説・トキワ荘・春』石ノ森章太郎 風塵社 1996年 「COM」70年8月号掲載の「まんがトキワ荘物語」を巻頭においた、同タイトルの本(スコラ 81年)の再刊。トキワ荘の存在が一般に知れ渡るようになったのは、「COM」で「まんがトキワ荘物語」が始まってからだった。
石ノ森氏は、それまでトキワ荘時代についてあまり積極的に触れることはなく、この『章説』が初めて詳しく書いたものだった。プロローグにある“姉の死”が主な理由だろう。石ノ森氏の自伝としては自身の死を意識して書いたであろう『絆』(NTT出版 1998年)もある。
⑬『仮面ライダー青春譜』すがやみつる ポット出版 2011年 タイトルどおり、「テレビマガジン」「冒険王」で『仮面ライダー』を描いた作者の自伝(マンガ史)。リアルタイムで「テレマガ」を読んでいたので、その舞台裏は興味津々。石森プロ以外の情報量も豊富でおそろしく熱い本です。
以上、駆け足でしたが、これで終わります。
敬称があったりなかったり、石ノ森氏が石森氏だったりしますが御容赦下さい。字数の問題と、昔の話なので石森氏と書いた方が気持ちが乗るといった理由です。長々と読んで下さり、ありがとうございます。
追補。手塚治虫の次にトキワ荘に住んだ寺田ヒロオは、棚下照生の勧めで上京したので他の人たちとはルートが異なる。故 飯島祐輔さんから私が伺った話によると、飯島さんの師匠の高井研一郎氏も当時トキワ荘に住みたがったが、他にも希望者が多くて空き室もなかったので断念したとのこと。
文藝別冊『総特集 石ノ森章太郎』巻末の年譜によると、石森氏がトキワ荘を最後に出たのは1962年7月。自分はずっと61年末と思っていた。べつの本の年譜で覚えていたからだが、やはり石森/石ノ森研究に詳しい福田淳一氏の方が正しいのだろう。豊島区は61年末退出としていますが、石森プロ・水野英子・当時のアシスタントは62年としています。いま山内ジョージ氏の『トキワ荘最後の住人の記録』を繙いたところ、石森さんが出たのは61年末で、アシスタントをしていた山内氏自身は62年3月退出と書かれていました。そのうち福田淳一氏に尋ねてみたいです。とりあえず私が62年として思っている理由です。